8月11日、東京・渋谷で開かれたイベント「国語辞典ナイト7」に、筆者(平山泉)が登壇しました。見に来た後輩がまとめたものを前回の当欄に掲載しましたが、そこに書かれなかったことを中心に紹介したいと思います。
目次
見に行くつもりが登壇することに
「国語辞典ナイト」は第2回を初めて見に行って以来毎回足を運んでいましたが、第3回は1年後の昨年1月、4回目は4カ月後、5回目は5カ月後、6回目は3カ月後と急にペースが上がる人気ぶり。今年1月の広辞苑をテーマとした6回目の後、春ごろ「次はいつだろう。チケットを取り損ねたくない」と思って出演者の方に尋ねたりしていました。ところが、5月下旬に開催案内ならぬ登壇依頼が届いたのです。「わーっ、きたーっ」と声が出てしまいました。
楽しみにしていたイベントとはいえ、出るとなると話は別。無理……と断りたい気持ちもありましたが、「校正・校閲スペシャル」ということでお誘いいただき、光栄なことです。同僚たちにも励まされ、まぜていただくことにしました。
出演者を紹介しますと、「三省堂国語辞典」(以下、三国)編集委員の飯間浩明さん、フリーライターの西村まさゆきさん、三国初代編集主幹である見坊豪紀さんの孫で校閲者の見坊行徳さん、講談社の校閲者、稲川智樹さん——皆、国語辞典を愛してやまない方々です。司会はいつもいい感じにコメントを入れる古賀及子さん。今回はここに平山が加わりました。
打ち合わせでドラマ「校閲ガール」をネタにすると聞いていたので、その後のメールのやり取りの際、ドラマの中で鍾乳洞でなく「鐘乳洞」と書かれたバス停の表示を主人公たちが見逃していたことを話題にしました。職場の先輩から別の「鐘乳洞」の例を聞いたので紹介したところ、見坊さんから「日本国語大辞典には『かねちあな 鐘乳穴』という項目があります」という返信が! 引いてみると鍾乳洞と同じ意味ともあり、洞と穴の違いはあるものの「鐘」の字を一概に誤りとは言い切れなくなります。職場で話すと皆びっくり。見坊さん畏るべし、辞書畏るべしです。これを知ることができただけでも今回参加できてよかったと思いました。
語源の「フェイクニュース」
第2回以外は夜に開かれていましたが、今回は祝日の昼、午後1時開演でした。
いつもの出演者たちで始まりました。平山はひとり楽屋で映像を見ています。
冒頭は飯間さんの「ニュースコーナー」から。三国タイガース仕様発売、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」出演、語源の“フェイクニュース”の話――と、当日午前のリハーサルで急きょ入れたスライドも見せながらよどみなく解説していました。
フェイクニュースとは、兵庫県養父(やぶ)市が「やぶ医者」の語源を「養父市に昔いた名医から」とし、それを複数のテレビ番組が取り上げたというものでした。江戸時代の名医というが、もっと古く室町時代からある言葉であると飯間さんは説明します。この明白な事実を無視して自治体のホームページに載せ、さらにテレビ番組が無批判に放送するということがあっていいのかと強い口調で問題提起しました。
飯間さんは常日ごろ、新しい言葉や「誤用」と言われるような言葉にも、誤りと決めつけるようなことはせず、すべて価値あるものと温かいまなざしを向けています。前回の国語辞典ナイトでも、スライドでなぞのキャラクターに「誤用だーっ」と言わせて笑いをとりつつ、辞書にないからといって誤用と決めつけることの愚かしさに気づかせてくれました。
では、なぜこのことは「フェイクニュース拡散」として厳しく追及するのか。まずは、民間語源の一つとして言うのならよいものを、公的機関が一つだけを正しいものとして公言し、さらにマスコミが面白いからといって飛びついたこと。
また、飯間さんが言葉について「誤用ではない」と言うときには、いつも「明治時代には既に用例がある」といった「証拠」を示しています。ぬれぎぬを晴らすために努力を惜しまない飯間さんだからこそ、もっと古い用例があるという「証拠」を無視するように広められることは看過できなかったのではないでしょうか。
面白かった「校正の実演」
さて、本編に入り見坊さんが校正・校閲とはどんなものかを説明しました。書画カメラを使っての「実演」がうまくいき、後で出演者の間で「あれはよかったね。ほかでも使える」と高い評価。午前のリハーサルの際、「国語辞辞」の文字を直すところで前の方の「辞」の文字から鉛筆で引っ張って「書」と書き、「国語書辞」にしそうになっていました。そのときは笑って「いかんいかん」というだけだったのですが、本番でも前の方の「辞」を○で囲ってしまって「あらら?」。
見坊さん(右)と稲川さん
すぐに○に二本線を書いて「モトイキ」と書きました。筆者の職場では「イキ」しか書きませんが、書いた直しとゲラの文字のどちらを生かすのか明快ではないから「モトイキ」と書くのねと感心しました。それを見せるためにわざと書き誤ったのかなとも思っていたのですが、後で見坊さんは「緊張した……書き間違えるし」と。しゃべることは平気なのだそうですが、書くとなると緊張するというのです。意外な一面を見てしまいました。
野菜の「串切り」とは?
見坊さんの解説が終わり、平山が呼ばれました。飯間さんが紹介をしてくださった後、映し出されたスライドを見ると、平山が飯間さんに送った写真でした。以前、通販で購入した野菜の箱に入っていたレシピの紙で、下ごしらえの欄に何カ所も「串切り」とあったのです。
西村さんや古賀さんが「どこかおかしいの?」といった反応をし、少しずつヒントを出すと「ああっ」と言ってくださるのが助かりました。「くし(櫛)切り」「くし形切り」の誤りで、実際に購入先に連絡して「直す」と返事をいただいたのでした。このように、直してもらえる可能性があると判断した場合のみ連絡すると話したところ、古賀さんが「事情までも察して」と言って笑いを誘いました。
次の新聞記事をもとにつくったクイズで、「昴」が人名用漢字に入ったのは1990年なので、この年齢の人の名前としてはおかしいとひっかからなければならないことを説明しました。マニアックかなあと思いましたが、直接取材するわけでない校閲記者のできることには限界があるけれど、どんなことでも手がかりにして、なんとか確認しよう、なんとか誤りを防ごうとしていることを伝えたかったのです。……そこまで伝えられたでしょうか。
「困る」三国 なぜ使うか
よく使う国語辞典はという質問では、いつも使っている三国を取り出して飯間さんを喜ばせておいて、でも「三国には困ることも」という話をして落とす——作戦(?)は成功しました。
そんな「困る」三国をなぜ手元に置いて使っているのか、後で後輩に聞かれました。一つには三国7版出版の際に飯間さんたちに取材をし、記事にさせてもらったご縁ということがありますが、ほかにも、特性を承知していれば「三国になら載っているだろう」「三国でさえ認めていない!」という視点から使いやすいという理由もあるのです。
飯間さんが校閲の歴史について話すなかで、「校正の研究」(大阪毎日新聞社=毎日新聞社の前身=校正部編、1928年)「文字と闘ふ」(同編、40年)などを紹介すると聞いていたので、恥ずかしながら初めて読みました。校正の精神論から誤りの具体例、漢字制限や他社の状況などなど、校正にまつわるあらゆることが書かれており、「先人」たちの活躍が生き生きと感じられる本です。
楽しい「逆からブランチ」
国語辞典ナイトでは毎回終わりにゲームコーナーを設けます。今回は初めてのゲームで「逆からブランチ」というもの。打ち合わせのときにやってみて、このようなゲームが世間にあったのかと思ったのですが、国語辞典ナイトの皆さんが考えたようです。国語辞典を楽しく使ってほしいという願いから生まれたのでした。
とっても楽しいので、これを読んだ方もぜひやってみてください。
「ブランチ(branch 枝)」とは、辞書にある言葉の語釈の一つ一つのことです。
◇1人が出題し、ほかの複数人が解答する
◇出題者が辞書の項目から一つの語を選び、複数ある語釈のうち終わりの方から読み上げていく(一つずつ表示して見せてもよい)
◇解答者は何という語の語釈かを考えて、わかった時点で宣言し、ほかの人に見えないようにフリップなどに書く(何番の語釈でわかったかも記入)。一度書いたら変更することはできない
◇すべて語釈を読み上げてから全員フリップを見せる
◇出題者が正解の語を発表。正解者のうち最も早い段階で書けた人が勝ち
※複数の語釈が載っている語でないと出題できないが、三つ程度でも面白かったりする
※最初にどの辞書からとったかを発表するとよい
※難しい語でなく「変わる」のように基礎的な語を使う方が面白いかもしれない
※用例がわかると易しすぎるので用例は読み上げない方がよい
本番の問題(明鏡から)。答えは……?
ブランチ数6⑥相撲で、相手にぶつからないように身をかわす
⑤「AはBと—らない」などの形で、AとBが等しい関係にあることをいう
④普通と少し違っている
③位置や住所・所属先などがこれまでと違ったものになる
②時間が経過して、特定の季節や月日が別の季節や月日になる
①物事や状態がこれまでと違ったものになる
——何番目でわかりましたか? 平山は①まできてやっとわかって「そうそう、相撲でこう言うって知っているはずなのに」と声を上げたくらい、なかなか言葉が出てきませんでした。
本番では、平山はすべて読み上げられてもわからないものがあって恥ずかしかった一方、中には早めにわかったもの、漢字の書き分けについてコメントできたものもあり、それなりに楽しむことができました。「わかった!」と勇んで書いてからほかの語釈を見て「しまった」という顔をする人、わかったと思っても慎重になって更に語釈を見ないと書けない人——と性格も表れると思います。
ゲームは思惑以上に盛り上がり、これで閉幕です。
今後も楽しみな「ナイト」
ところで、飯間さん、見坊さん、平山とで着ているものが「緑かぶり」していました。全くの偶然ですが、そうなってしまうほど、ほぼ「ぶっつけ本番」だったということでもあります。
飯間さん(左から3人目)、見坊さん(右端)と平山(右から3人目)の服が「緑かぶり」。同2人目は稲川さん、同5人目は西村さん。左端が古賀さん
次回については具体的に決まっていませんが、帰りに飯間さんたちと歩きながら、漢和辞典の話題で盛り上がりました。「国語辞典VS漢和辞典」ナイトなんていうのも楽しそうだなあと思います。
国語辞典ナイトの会場には毎回、老若男女さまざまな方が集まります。今回は校正・校閲関係者が多かったようですが、そうでない方にも楽しんでいただけたでしょうか。緊張しながらもわたくし自身は非常に楽しませてもらいました。もともと国語辞典との関係が深い校閲記者ですが、今後も「お付き合い」を広げられたらと期待が高まった真昼の「ナイト」でした。
【平山泉】