「必ずや~」を使う場合の文の結び方について伺いました。
目次
結び方は問題視されず
今度の選挙では力を合わせて「必ずや勝利する」――この言い方はどうですか? |
問題ない 40.3% |
「必ずや勝利しよう」としたい 24.9% |
「必ず勝利するだろう」としたい 21.3% |
上の二つのいずれかにしたい 13.5% |
「必ずや」という言葉を使った場合に、文末を終止形で受けることに違和感があるかという質問でした。「必ずや」は漢文調で文語の形に沿うものです。文語なら「勝利せむ」になるだろう文末について、その口語体「勝利しよう」を選んだ人は4分の1程度でした。現在では動詞の終止形で受けることになっても問題ないとする人がより多くを占めました。
「必ず」と意味は同じだが
「必ずや」は「必ず」に助詞「や」が付いた形です。明鏡国語辞典(3版)はこの「や」を「〈副詞に付いて〉詠嘆を伴い意味を強める。『必ずや成功させてみせる』『今や遅し』『またもや失敗した』」と説明します。「詠嘆を伴い」はまあ、ちょっと感情が上乗せされるような感じでしょうか。「今や遅し」は「や」を抜くとおかしいですが、「またもや」は「またも失敗した」でも意味は変わりません。「必ずや」も同様で、意味の上では「必ず」と同じと言ってよいでしょう。
ただし、「必ず」が「その事柄が間違いなくなされるという気持ちを表す。間違いなく。絶対に」(明鏡)と説明され、物事の例外のなさを表すのに比べると、「必ずや」の方は「〈下に推量表現を伴って〉実現の確実性が高いという推量の気持ちを表す。間違いなく。きっと」(同)と説明されており、むしろ確実性は下がっているのではないかと思われます。「や」を付けることで確実性が強まるわけではなく、確実だと信じる話し手の気持ちを強く訴える形と受け止めるべきかもしれません。
文語なら「勝利せん」と受けたい
明鏡はさらに「使い方」として
「必ず」より古風な言い方で、意味も強い。下の語と呼応して、決意・義務・当然などの気持ちを表すこともある。「必ずや解決してみせよう」「必ずや合格せねばならない」「彼ならば必ずや勝つはずだ」
と説明しています。質問文で挙げた「必ずや勝利する」という例は、「決意」ないし「当然」の意と見るべきものだと思いますが、ここまでの用例などを踏まえると、呼応する表現がないのは何となく物足りなく感じます。
「古風な言い方」だとすれば、「必ずや勝利せむ(ん)」というのが本来はなじむのかもしれません。文語の助動詞「む」であれば、意志・推量などを表すのにちょうどよいでしょう。論語の一節で、孔子は弟子の子路から「政務を執るならまず何をするか」と問われ、「必也正名乎」と応えています。読み下し方は「必ずや名を正さんか」(必ず物事の名前の乱れを正そう)が定着しており、「必ずや」もしっくりきます。ある程度型の定まった表現と見なした方が、収まりがよいものではないでしょうか。
構えた言い方であることに留意を
こうしてみると「必ずや」はちょっと構えた表現で、普段づかいの言葉ではありません。今回取り上げるきっかけになった、政党の運動方針などにはちょうどよいと言えなくもないのですが、それならそれで、文末も「らしい」形にするのが、なじむ使い方だと考えます。アンケートの結果では、結びが終止形でも気にならない人が多かったのですが、もし使うことがあるならば、現代語としては、これはちょっと格好をつけた言い方になることに気を留めてもらえればと思います。
(2023年03月30日)
某政党の2023年の運動方針を紹介する記事に、質問文のようなフレーズが出てきて「ん?」と思いました。念のため、その政党がホームページに載せている方針案を見ると、確かに「必ずや勝利する」とあります。写し間違いではなかったので、とりあえず安心しました。▲辞書で「必ずや」を引くと「〔連語〕ほとんど確実に。きっと。『かれは必ずや大成するであろう』▽下に推量の言葉を伴う」(岩波国語辞典8版)のような説明が見られます。「必ず」とほぼ同じ意味ではありますが、意味を強めた上で、文末に呼応する表現を伴うのが「必ずや」の特徴と言えます。▲現代の口語で「推量の言葉」といったら「だろう」が一般的ですが、この場合は「必ずや勝利するだろう」では人ごとのようです。他の辞書の説明には「下の語と呼応して、決意・義務・当然などの気持ちを表すこともある」(明鏡国語辞典3版)とあります。質問文の例は「決意」に当たるのでしょうけれども、呼応する語がありません。動詞の終止形で結ぶことで、より強い決意を表現すると捉えることもできるでしょうか。皆さんはどう感じるでしょう。
(2023年03月13日)