大阪本社版夕刊で8月、たこ焼きのルーツをさぐる連載が掲載された。大阪ならではの企画だが、その原稿の中に「ラヂオ焼き」という表記が出てきた。
その名前を見たことはあった。自分自身が注文したことはないが、たこ焼きだけでなく「ラヂオ焼き」も売るたこ焼き店に行ったことがある。確かにそのメニューにも「ラヂオ焼き」と書かれていた。
原稿では、「ラヂオ焼き」がたこ焼きの原形となったことを紹介していたが、「ラヂオ焼きというネーミングは、当時最先端だったラジオにちなんだ」と書いている。同じものなのにラジオそのものは「ジ」、「焼き」がつくと「ヂ」なのである。
「ラヂオ焼き」は店のメニュー名などの固有名詞ではなく一般名詞として登場している。流行したのが昔のため、レトロ感を出すために歴史的仮名遣いを用い「ラヂオ焼き」としている店は多いのだろうが、現代仮名遣いを使用するという毎日新聞の原則から、やはり一般名詞としては「ラジオ焼き」とすべきだろう。筆者との交渉の末、「ラジオ焼き」とすることを承諾してもらった。
歴史的仮名遣いとは、平安中期以前の文献を基準として定められた仮名の使い方で、1946年に現代仮名遣いが内閣告示によって制定されるまで、社会で正しい字の綴り方とされてきた。旧仮名遣いともいう。
固有名詞では、現在も紙面上、歴史的仮名遣いで掲載されるものはある。企業名ニッカウヰスキーやブリヂストンなどはわかりやすい例で、キユーピーやキヤノンなどの拗音(ようおん)が大きい字となっている会社もそうだ。ここに挙げた会社はすべて旧仮名遣いの時代に創業している。
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また、人名では毎日新聞紙面の人生相談でウイットに富んだ回答をされているわかぎゑふさん、お笑いコンビのよゐこなども紙面でよく登場する歴史的仮名遣いだ(ただし、歴史的仮名遣いとしては「良い子」は「よゐこ」とは書かず、「よいこ」であるとするのが一般的)。
加工食品メーカー・エスビー食品も実は登記上は「ヱスビー」だ。1992年まではヱを使っていたが、この文字になじみがある人が少なくなったなどの理由から、表記をエにした。毎日新聞の紙面でも1992年を境に変更されている。
「シクラメンのかほり」は間違いか?
布施明さんが歌いヒットした「シクラメンのかほり」は、実は歴史的仮名遣いでは「シクラメンのかをり」が正しい、ということがよく言われている。
ただ、歴史的仮名遣いは一般的に江戸時代後期に契沖という国学者が提唱したものを指すが、仮名の使い方をまとめたものとしては藤原定家が定め用いた仮名遣いを基に、鎌倉時代の語学者行阿が示した定家仮名遣いというものもあり、それにのっとれば「かほり」が正しいのだという。定家仮名遣いは歌人の間などで広く使われたようで、江戸時代、契沖が仮名遣いを提唱するまでは通用していたらしい。つまり、平安後期から江戸時代までのルールでは「シクラメンのかほり」でいいわけである。
今現在も基準である現代仮名遣いや常用漢字表が示され、我々はそのルールを参考につくられた毎日新聞の規則を基に日々記事を送り出している。ただ、ルールは時代によって大きく変わる上、新聞やテレビといった公的な場でない、私的な場面では、字の表記は自由である。友人へのメールに、「まぢで?」と書いても、あ行とやゆよを全て拗音で書いてもとがめる人はいない。お互いの間で話が通じればそれでいいのだから。先ほど述べた「よゐこ」も、歴史的仮名遣いというルールとは合致しないだけである。
「かほり」だって、「かほり」を使っていた時代はあったのだし、「かをり」が正しいとされてからも「かほり」を使っていた人はいただろう。
更にその表記をどう発音していたか、また発音をどう文字にしていたか、あるいはその単語はもともと語源は何だったのか、そういったことを考え合わせると、表記に対し、正しい、正しくないとすぐに判断できることは少ない。
とりあえず「シクラメンのかほり」はこれでいいと思うのだが、母はおかしいという。「だって、シクラメンにかおりなんてないのに」。確かに園芸種のシクラメンは一般的に、香りはないようである。調べてみると香りがする品種もあるのだとか。今度親孝行にひとつ、手に入れてみようか。
さて、くだんのラジオ焼きを食べてみようと、いつも観光客でにぎわうたこ焼き店「会津屋」へ。メニューにはやはり「ラヂオ焼き」。注文後運ばれてきた「ラヂオ焼き」は、見た目はたこ焼きとあまり変わらないように見える。しかしほおばると、たこ焼きとは違う食感が。中にはすじ肉とこんにゃくが入っている。レトロ感やなつかしさを売りにした味というよりは、おいしいというそれだけで十分通用する味だ。
当時最先端だったラジオにちなみ、ハイカラさを売りにして名付けられたという「ラヂオ焼き」。「ヂ」を「ジ」と書くようになった今も、そのおいしさは変わらなかった。
【水上由布】