「談議を交わす」という言い回しについて伺いました。
目次
言い換えたい人が6割占める
「打撃談議を交わす」――この言い方、どうですか? |
違和感はない 11% |
意味が分かるので許容範囲 28.3% |
「打撃談議をする」などとしたい 60.7% |
「談議を交わす」のような言い回しには重複感があると思っての質問でしたが、やはり「談議をする」のように言い換えたいという人が6割を占め、最多になりました。
重言は避けたいが…
このブログをよく読んでくださっている方は、「重言」と言われれば「ああ、あのこと」とすぐに思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。同じ語を重ねてできた熟語(多多、刻刻など)という意味もありますが、今回出題した例では「同じ意味の語を重ねて使う言い方」(明鏡国語辞典3版)の意味で、部内では「ダブり」とも呼ばれています。校閲の作業ではこの「ダブり」がないように目を配っています。
ありがちな例では「あとで後悔する(→後悔する)」「製造メーカー(→メーカー)」などで、毎日新聞用語集にも掲載されています。ほかに、ネットであえて使われる「頭痛が痛い」なんかはよく知られていますね。「談議を交わす」はそこまではっきりしたものではありませんが、「談議」自体に言葉をやり取りする意味合いがあるため、「交わす」と一緒に使うと意味が重複する印象を受けます。
「不適切」でない重言もある?
明鏡の「重言」の項のあとには「重言のいろいろ」とのまとめがあり、眺めているだけでも発見があります。まとめ内には「不適切な重言ではないもの」との分類がありますが、その中には毎日新聞用語集で「重言」として使用を避けているものもあります。たとえば「一番最初/一番最後」。「最も」には「第一にすぐれて。最高に」(広辞苑7版)といった意味があり「一番」と重複しますが、明鏡では「意味を強調して明確にする」として不適切でないとしています。
このように、人によっては「いいじゃない」と許容できる表現もあり、校閲者は「果たして己の違和感は正しいのか?」と辞書を引きながら延々頭を悩ませるはめになります。人にわざわざ相談するほどでもないのかも……という程度の違和感が、実は一番歯がゆいのです。
判断に柔軟さも必要か
「打撃談議を交わす」について職場の先輩に聞いてみたところ、「自分だったらスルーかな」とのことでした。「話し合うこと」のほかに「その話」(明鏡)という意味があり、一概にダメとは言えないという判断でしょう。
パッと見、重言ではないけれど、意味を分解してみれば実は――というものは結構あります。しかし、分解しすぎてもドツボにハマるもの。「強調かな?」「あえて明確にしたかったのかも」と筆者の心境に思いをはせ、柔軟に判断していく勇気も必要なのかもしれません。
(2022年03月18日)
原稿で見たのは「Aさんと打撃談議を交わすBさん」のようなくだりでした。情景が思い浮かぶのでスルーしそうになりますが、意味がダブり気味であるようにも感じられます。▲「談議(談義)」という言葉には複数の意味がありますが、この場合は「はなしあうこと。相談すること」(広辞苑7版)というところでしょうか。要するに「談議」という言葉自体に、はなし「あう」というやり取りの意味合いが含まれている一方で、「交わす」もまた「互いにやりとりをする。取り交わす」(明鏡国語辞典3版)ことです。それぞれの言葉を追うと、「談議を交わす」は「言葉のやり取りをやり取りする」ような重複を感じるのです。▲もっとも、「談議(談義)」について「話し合うこと。また、その話」(明鏡3版)のように、やり取りだけでなく、そこでなされる「話」のことも含むとする辞書もあります。そう考えると違和感は小さくなるかもしれません。皆さんはどう感じるでしょうか。
(2022年02月28日)