「前人みとう」の漢字表記について伺いました。
目次
4分の3が「前人未踏」を選ぶ
「前人みとう」の野を行くような快進撃――カギの中、漢字ならどう書きますか? |
前人未到 16.8% |
前人未踏 74.8% |
上のいずれも使う 8.3% |
「前人みとう」の野を行くような、という比喩的な形での表現には「未踏」と書くという人が4分の3を占め、1割台の「未到」に大差をつけました。新聞では「前人未到」に表記を統一することにしていますが、一般には「未踏」が浸透していることが分かります。
辞書は両様の表記を記載
国語辞典で「ぜんじんみとう」の項目を設けているものは「前人未到・前人未踏」(明鏡国語辞典3版)のように両方の表記を載せるものが大半です。明鏡は「書き分け」として「【未到】と【未踏】はどちらも使うが、『前人未到の記録』など、到達する意味の時は【未到】」としています。
一方、広辞苑7版は「前人未到」について「前人未踏に同じ」とし、「前人未踏」は「①いまだかつて誰も足を踏み入れていないこと。『前人未踏の地』②まだ誰もやっていないこと。前人未到。『前人未踏の連勝記録』」と説明します。「前人未到」は記録などに限定し、「未踏」はいずれにも使えると言っているようです。
新聞の表記は「前人未到」
回答から見られる解説でも書きましたが、日本新聞協会の「新聞用語集」では「前人みとう」の漢字表記を「前人未到」で統一しており、毎日新聞の用語集もそれに倣います。「みとう」の使い分けは
みとう 未到〔まだ到達していない。主として業績・記録に〕前人未到の境地・記録
未踏〔まだ足を踏み入れていない。主として土地に〕人跡未踏の地・山
とあり、具体的に土地に足を踏み入れることが話題の場合には「未踏」、より抽象的なものについては「未到」を使うというのがルールです。各社の用語集も同様の記述を載せています。
ただし、日本経済新聞の用語集は「未踏」の方に付け加えて「未踏の領域に入る〔比喩的に〕」という用例を挙げています。実際に足を運ばないケースであっても、比喩として使うならば「未到」ではなく「未踏」を使っても差し支えないという見解で、今回の質問文のような例にも参考になります。
歴史の浅い熟語「未到」「未踏」
文化庁の「言葉に関する問答集14」(1988年)は「『前人未到』か『前人未踏』か」という項目で、「『未到』も『未踏』も漢和辞典には現れない語であるから、日本製の漢語である可能性が強い」としています。本来の表記はどうなのか、という議論は成り立たないとみられます。
「問答集」はそのうえで、新聞用語集の使い分けは「妥当である」としつつも、「前人未到」「前人未踏」があまり区別されずに使われている用例を引き、「足を踏み入れていないのが未踏/到達していないのが未到」という使い分けから逸脱しても「決して誤りとは言い切れない」とします。もちろん新聞用語集の使い分けも「前人未踏」を誤りとして排除しているわけではないのですが、こうしてみると、ケースによっては統一から外れる場合があっても問題なさそうに思えます。
一般的にはどちらも使える
アンケートの結果は4分の3が「前人未踏」を選んでおり、一般的な感覚においては、「前人未到」でなくとも問題ないことを示しています。今回の質問文のように「~の野を行く」と後に続くならば、たとえそれが現実の土地ではなくとも「未踏」がなじむという感覚もあります。新聞では表記を統一することが要請されますが、特にそうした縛りがないならば、「未到」「未踏」のいずれを使っても問題ないと言えそうです。
(2021年12月28日)
日本新聞協会の「新聞用語集」は「ぜんじんみとう」の項目で「(前人未踏)→前人未到」と表記を統一するよう案内しています。さらに「みとう」の項目を見ると「未到〔主として業績・記録に〕前人未到の記録・境地」「未踏〔主として土地に〕人跡未踏の地・山」とあり、「前人未到」と「人跡未踏」を使い分けていることが分かります。▲しかし最近、原稿にこんなくだりを見かけて悩みました。「前人未踏の野は『8冠』まで続いていくのか」――将棋の藤井聡太竜王が4冠に到達したことに触れたもので、タイトル獲得の年少記録を次々に更新してゆくさまをたとえたものと分かります。土地である「野」のような語には「未踏」がなじみそうですが、実際はタイトルの話なので「未到」の方がよいのでしょうか。▲結果から言うと、毎日新聞の用語集も「前人未到」で統一するよう促していることから、そのように直しました。ただし、文化庁の「言葉に関する問答集14」ではこの語の使い分けについて、新聞用語集の方針を「妥当」としつつも、それに沿わない書き方も「誤りとは言い切れない」として「問題の残る語」だと指摘しています。皆さんはどう感じるでしょうか。
(2021年12月09日)