読むのに使用する媒体によって、文章中の誤りの気になり具合が違うかどうかを伺いました。
目次
半数は「紙でも画面でも気になる」
文章で気になる誤字・脱字など。紙で読むか、デジタル端末の画面で読むかで気になり方に差はありますか? |
紙でも画面でも同じように気になる 51.6% |
紙で読む場合の方が気になる 33.1% |
画面で読む場合の方が気になる 10.1% |
紙でも画面でもあまり気にならない 5.2% |
紙か画面かという媒体の違いによらず、文中の間違いは「同じように気になる」という人が半数を若干上回りました。対して、紙で読む場合の方が気になるという人が3分の1。校閲の作業は基本的に、紙に出力された記事に手作業でチェックを入れるものですが、最近は画面で記事を点検する場合もあります。しかし、紙で読むときほどには注意力が働かず、「こんなはずでは……」と思うことも。
「製品」に近い形で校閲すべきだが…
毎日新聞では、校閲記者は新聞紙面に載せる記事だけでなく、毎日新聞のニュースサイトに載る記事もチェックしています。紙面に載る原稿とサイト用の原稿を区別無く扱うのが原則だと言ってもよいかもしれません。もっとも、分量などからみて、これは明らかに紙面には載らないだろうな、と思う記事もあるわけですが。
原則を言うなら、校閲記者としては極力、出来上がりの状態に近いゲラを確認するというのも大事なことです。新聞などの「最初の読者」として製品に臨まなければならないということでもあります。紙の新聞の場合は、初校は文字がやや大きい紙モニターで行いますが、最終的には新聞紙と同じサイズのゲラ(「大ゲラ」「大刷り」などと呼んでいます)を見て確認します。デジタル媒体の場合は形のある製品がないため、大抵の場合は紙モニターだけで作業することになります。
「読むこと」は紙とデジタルで変化するか
しかし新聞社も、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、テレワークで作業をする必要が出てきました。自宅で校閲作業をする場合にプリンターがなかったら、あるいは膨大な紙を出力する作業が効率的でないと考えられるなら、記者は画面で校閲することになるでしょう。そうした場合にきちんとした校閲作業ができるかというのは、現在のところ、はっきり分かってはいません。ただし、出題者の個人的な印象としては、画面による校閲は粗くなりやすいと感じています。
読むときの注意の質――私たちの思考の質の基礎――は、私たちの文化が印刷ベースからデジタルベースに移行すると、否応なく変化するのでしょうか? そのような移行には、認知力へのどんな脅威と明るい兆しがあるのでしょう?
メアリアン・ウルフ「デジタルで読む脳×紙の本で読む脳」(大田直子訳、インターシフト)は上のような問いを投げかけます。紙媒体としてウルフ氏が取り上げるのは書籍ですが、新聞も紙という点は共通しています。仮に「読むときの注意の質」に紙とデジタルで差があるならば、校閲記者にとっては困ったことになりそうです。
とりあえず出題者の気にかかる問題は二つです。一つは、自分自身が作業をする場合の問題。紙無しでの校閲作業というのは、やはりナンセンスなのではないかということ。もう一つは、仕事自体の存在に関わるもので、もし読者がデジタル画面で読むという行為には十分な注意を働かせないのであれば、間違いをなくすという作業自体の意味が小さくなるのではないか、という問題です。
速読を促すデジタル画面
ウルフ氏の本には興味深い指摘が多く見られます。詳しくは直接本に当たってもらうのがよさそうですが、例えば「大勢の目の動きの研究者が、デジタル読字ではしばしば目がF字やジグザグに動くことを示しています」などというのは紙媒体との差として典型的でしょう。文の流れを線状に追うのでなく「文章全体で素早くキーワードを拾い(中略)、最後の結論に突進し、それが正当な場合のみ、本文にもどって裏付けになる細部を選び出す」――これはいわゆる「速読」の読み方ではないか、と出題者は感じましたが、画面での読字はなぜか人を落ち着かなくするようです。
通常の読書ならそれでも済むかもしれませんが、校閲が「斜め読み」「拾い読み」を促されていてはいけません。作業としてはやはり、紙にべったりと線を引きながら、もたもたと読んでいくのが校閲にはお似合いでしょう。
当分は残る?校閲という仕事
一方、今回のアンケートで「紙でも画面でも同じように誤りが気になる」とした人が半数に達したことは、たとえデジタル画面が落ち着かない読み方を誘うとしても、記事中の誤りが見過ごされてよいわけではないことを示唆します。校閲としては仕事がなくなることは当分なさそうで一安心と言うべきでしょうか。AI(人工知能)に取って代わられるかも?というのは、また別の話になります。
同時に3分の1の人が「紙の方が気になる」というのも、出題者の個人的な感覚としてよく分かります。新聞や紙で誤植を見つけた場合の居心地の悪さは、その誤りが物体として目の前に存在し続けることに由来するのかもしれません。ウェブサイトなどで誤字を見つけても「あ、違うな」と思うだけで読み飛ばし、ページを先に進めればもう振り返ることはないのですが。
紙で読むこととデジタルで読むことに違いがある、ということを感じる人は少なくないと思うのですが、それが具体的にはどう違うのかはまだ分からないことが多いようです。新聞も紙からデジタルに移行しつつあるようにも見えますが、それが読者にとって良いことなのかはまだ見当がつきません。それでも記事の質の確保のため、差し当たりはできることをやるしかない――校閲記者の立場から言えることはその程度でしょうか。
(2020年12月15日)
このアンケートを始めたのは2018年の年頭でした。以来週2回のペースで続けており、今回で300回目になります。出題者側としてはちょっとした節目になるので、普段とは毛色の違う質問をしてみました。
新聞校閲は、普段は原稿を紙でチェックしています。紙の新聞に載る記事でもウェブやアプリ向けの記事でも同様で、赤ペンや鉛筆で線を引きながら読むのが普通です。やはり紙で読む場合と画面で見る場合とでは集中の度合いに差が出るのです。
しかしこれは逆に、読者の側にも言えることかもしれません。紙だと集中して読むことができるので間違いが目につくが、画面だと目につかないのかも。もちろん、仮に目につかないとしても記事に傷があってよいわけはないのですが、デジタル媒体向けに最適化した校閲作業というものは、紙の作業と違ってくるのかという疑問を感じています。「画面」というくくりは乱暴だとは思うのですが、まずは誤りの気になり方について伺ってみました。
(2020年11月26日)