「自粛」の使い方を広げるような表現について伺いました。
目次
「言い換えたい」が過半数だが…
外出を「自粛させる」という言い方、どう感じますか? |
問題ない 8.5% |
違和感はあるが許容範囲 36.2% |
「制止する」「やめさせる」などと言い換えたい 55.2% |
「自粛させる」という言い方について、「問題ない」とした人は1割に届きませんでした。残る9割以上の人は違和感ありとしていることになりますが、そのうち「許容範囲」と「言い換えたい」の内訳は2対3といったところ。「言い換えたい」が全体の過半数を占めていますが、許容する人が意外に多いと感じます。
「自滅させる」と「自称させる」の差
「自○」という形を取る熟語には、「自ら○する」という意味を持つものがあります。自衛、自害、自習、自署、自称、自滅などなど。これらの言葉を見ると、「自衛させる」「自害させる」「自習させる」「自署させる」「自滅させる」などは使うことができそうです。自害や自滅のような、進んでしたいようなことでなくとも、結果的にそうするように追い込むという意味で「させる」と言うことができます。
一方で「自称させる」とは言いにくい。「自ら称すること。実際はそうでないのに、あるいは、世間ではそう認めていないのに、ある身分、肩書、名前を持っていると自分で称すること」(日本国語大辞典2版)というのが「自称」です。あえて名乗るという行為には本人の意思が強く働くため、使役の「させる」はなじまないようです。自称するように追い込む、というのも状況を想像できず、やはり「自称させる」は使用しにくい表現でしょう。
「自分から進んで」という説明が付く「自粛」
さて、そこで「自粛」はどうでしょうか。国語辞典の説明を見てみます。
・自分から進んで行動や態度をつつしむこと(明鏡2版)
・自分の言動に対する反省に基づき、自分から進んで慎むこと(新明解7版)
・自分から、おこないや態度をつつしむこと(三省堂7版)
・自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと(岩波8版)
・自分から進んで行いや態度を慎むこと(現代国語例解5版)
・自分から進んで、行いや態度を慎むこと(大辞泉2版)
・自分で自分の行いをつつしむこと(広辞苑7版)
・自分から進んで自分の言動を慎むこと(大辞林4版)
・自分から進んで行ないや態度をつつしむこと(日本国語大辞典2版)
「行いや態度を慎む/つつしむこと」という説明に、上記9点の辞書のうち7点が「自分から進んで」と加えています。「自粛」という振る舞いがあくまで本人の意思に基づくものであると、強く意識されていることが分かります。「自粛させる」は辞書の記述からすると使いにくい表現であると言えるでしょう。
「自粛してほしい」という場面は頻出
もっとも「自粛を促す」(広辞苑など)という用例があることからも分かるように、他者に自粛を期待する場面は頻々と現れます。何かをやめてほしいが、強制的にやめさせる権限がない、あるいは強制的にやめさせるとやめさせた側に責任が発生しかねない、といった場合でしょうか。やめてほしいのだけれど、自分からやめてくれれば何よりだが――という、ちょっとずるい感じもする考え方がうかがえます。
新型コロナウイルスの感染拡大に関連して、イベント開催や外出の自粛を求める「自粛を要請」のような表現がよく見られるようになりました。毎日新聞の過去記事のデータベース(東京本社版、地域面除く)で「自粛を要請」「自粛要請」を検索すると、1987年以降で970件の記事が見つかりますが、うち287件、約3割が今年のものでした。
こうした「自粛要請」という表現自体は、要請する側の責任を曖昧にするものではありますが、言葉の意味するとおりに強制性が本来は強くないことも示すものであって、無理な表現とは言いにくいと考えます。少なくとも出題者は、使用を自粛すべきだとは思いません。
作為的な表現「自粛させる」
しかし「自粛させる」となるとどうか。毎日新聞での用例で目立つのは、不祥事を起こした芸能人について、事務所側が活動を「自粛させる」という例です。事務所としては責任を取らず、また本人にはっきり責任を取らせることもなく、ただ自分から活動を控える形にしてほとぼりが冷めるのを待つ――と言ったら意地が悪いでしょうか。
このような時に、端的に活動を「停止させる」「やめさせる」といった言い方をせず、「自粛」と言うことには作為を感じますし、記事に「自粛させる」という形が現れるのは、そうした作為のニュアンスを持たせるためと言えそうです。アンケートの結果としては45%の人が「問題ない」または「許容範囲」とした「自粛させる」ですが、受け手に対し含みを持たせたい場合を除くと、使用を避けるべき表現と考えます。
(2020年05月05日)
今般の新型コロナウイルス感染症の流行に当たり、「外出自粛を要請」といった言い回しが頻々とみられます。外出を控えるようにという行政からの要求、あるいはお願いです。
これについて「自粛」を要請するのはおかしい、という指摘があります。自粛は自ら進んでするものであって、他人に言われてするのではないという趣旨です。
ただし、「自粛を要請」という言い回しはさほど珍しいものではありません。比較的最近では「オスプレイの飛行自粛要請」のような形を見かけました。制止するわけにもいかないがやめてほしいという場合には、こうした言い回しを取らざるを得ないようです。
しかしさらに、児童らに「登校を自粛させる家庭」というくだりを見たときには首をかしげました。さすがにそれはもはや「自粛」ではないのでは……。「自粛」の言葉が氾濫するのに伴って、使い方が乱れているように感じています。
(2020年04月16日)