放送以外の場面でも「放映」を使えるかについて伺いました。
目次
「問題ない」は1ケタ止まり
会場の画面で録画のメッセージが「放映」された――この使い方、どうですか? |
「放映」で問題ない 9% |
「上映」の方がよい 61.8% |
上のどちらも違和感がある 29.1% |
「放映」で問題ないという人は9%と1ケタ止まり。「上映」の方がよいという人が6割を超えました。ただし「どちらも違和感がある」という人も3割弱あり、表現に悩む場面もありそうです。
「放映」の「放」は「放送」から
辞書の説明を見ると「放映」は「報道・音楽・講演・演劇・スポーツなどの番組をテレビの電波にのせて送ること。また、特に、映画フィルムをテレビで放送すること」(日本国語大辞典2版)。「放映」の「放」は「放送」のこと。「放映」という場合には基本的に、電波に乗せて放送されたものでなければならない、ということでしょう。
今回の質問のきっかけになった原稿は、スポーツの国際大会の壮行会で「応援メッセージが放映された」というもの。これは明らかに放送ではないので「放映」と呼ぶことにためらいを感じたのですが、アンケートの結果からみても、放送以外の場面での「放映」は許容されているとは言えないようです。
「上映」は「映写」のニュアンス帯びる
さて、そうなると言い換え方が問題になります。「放映」を別の語に置き換えるというのであれば、第1候補として挙がるのは「上映」ではないでしょうか。映画の「単館上映」という言葉もあるように、1カ所だけで映像を公開する場合にも使える言葉です。ただし、辞書では「映画を映写して客に見せること」(新明解国語辞典7版)などと説明。すなわち「上映」の「映」は「映写」ないし「映画」に基づく文字と見ることができ、競技場などの大型ディスプレーで映像を見る場合に適切かどうかは議論の余地ありと見えます。
もっとも、これは辞書の語釈が現実世界の変化から遅れているためかもしれませんが……。三菱電機がオーロラビジョン(ダイヤモンドビジョン)の1号機を米国ドジャースタジアムに設置したのが1980年。以来、大型の画像表示機器が競技場や街頭などに据え付けられ、映写機を必要としない形で大勢の人に映像を見せるというのも珍しいことではなくなっています。放送でもなく映写でもない場面にふさわしい言葉の使い方は、これから固まっていくのかもしれません。
文の書き換えが無難な場合も
先に挙げた原稿中のくだりは結局、「応援メッセージの映像が流された」という形になりました。まず「放映」の使用は不適切と考えますが、「上映」にも違和感があるとする人が3割程度いたことを考えると、これぐらいの書き方が差し当たり無難であろうかと思います。映像技術に関する言葉は変化が感じられる場面も多いので、今後の動向も気にかかるところです。
(2019年10月01日)
よく直しを入れる表現には、逆に「こちらが今の慣用に疎いだけなのかも?」と感じることがあります。「放映」もそんな一つです。
スポーツの試合が行われる競技場などの大型ディスプレーで、録画や会場の様子の映像を流すことを「放映」と書いた原稿を見かけます。しかし国語辞典を見る限り、「放映」は「テレビで放送すること。特に、劇場用映画をテレビ放送すること」(大辞林4版)のように、電波に乗せて番組などを送ること。会場内だけで動画を映しても「放映」と呼ぶのには無理がありそうです。
ならば、限定されたスペースで観客に映像を見せる「上映」に置き換えるのはどうか。ただし、こちらは「映画をスクリーンに映して人々に見せること」(同)と、「映画」に限定した使用が一般的のようです。どんな場合も使えるとは言いにくいかもしれません。
最近は直しに困って「映像を流す」のような形にすることもありますが、案外皆さん「放映」あるいは「上映」でも気にならないものでしょうか。
(2019年09月12日)