「環境破壊を憂( )声」というときに使う動詞の活用形を伺いました。
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規範とは異なる「憂う声」が7割に
「環境破壊を○○声が強い」。「○○」に入るのはどれでしょう? |
憂う 70.2% |
憂うる 8.8% |
憂える 21% |
「憂う」を選んだ方が7割と圧倒的。「憂うる」は1割、「憂える」は2割といずれも少数でした。
新しい毎日新聞用語集が「憂う声」は不適切、と明記したのとは逆の傾向が出てしまいました。いや、むしろこれほどの方が規範的な文法と異なる活用を使いがちなのですから、原稿を書く記者に注意を促す意味はあるということでしょう。
文法的“正解”は「憂うる声」か「憂える声」
改めて整理すると、口語なら「憂える」の連体形で「憂える声」、文語なら「憂ふ」(現代仮名遣いは「憂う」)の連体形で「憂うる声」となるのが本来の用法です。
ただ、(見た限りでは三省堂国語辞典しか載せていない)五段活用をする口語の「憂う」が存在すると考えれば「憂う声」の形になります。
文語の「憂ふ」には上二段活用と下二段活用の形があるので、まとめると下の表のようになります。
口語 | 文語 | |||
憂える | 憂う | 憂ふ(憂う) | 憂ふ(憂う) | |
---|---|---|---|---|
下一段活用 | 五段活用 | 上二段活用 | 下二段活用 | |
未然形 | 憂え(ない) | 憂わ(ない) | 憂ひ(ず) | 憂へ(ず) |
連用形 | 憂え(ます) | 憂い(ます) | 憂ひ(けり) | 憂へ(けり) |
終止形 | 憂える | 憂う | 憂ふ | 憂ふ |
連体形 | 憂える(声) | 憂う(声) | 憂ふる(声) | 憂ふる(声) |
仮定形 | 憂えれ(ば) | 憂え(ば) | 憂ふれ(ば) | 憂ふれ(ば) |
命令形 | 憂えろ、憂えよ | 憂え | 憂ひよ | 憂へよ |
現代語では終止形と連体形は同形をとる
普段我々は文法など意識せず「行きません」「行こうよ」などと自然に動詞を活用させています。「憂う声」と言う時だって、「『憂う』は五段活用なら連体形も『憂う』だ」などと考えているわけではないでしょう。
しかし、なぜ「憂う声」という形を使う人が多いのでしょうか。
まず文語風に「憂うる声」としないことについては、現代語において終止形と連体形に差異が全くないことが一つの理由と思われます。
現代語では、終止形と連体形の形が完全に一緒になっています。「落つ」という動詞は、かつては「落つる時」のように、後ろに体言が来ると「落つる」という形になっていましたが、現在はどちらも「落ちる」になりました。「落ちる」は連体形であり、実は終止形という形はすでに滅亡しています。連体形で文を終わらせるようになっているのです。
(橋本陽介「日本語の謎を解く 最新言語学Q&A」新潮選書)
辞書の巻末などに付いている「動詞活用表」を見れば一目瞭然ですが、現代語では終止形と連体形は必ず同じ形です。
そのため連体形の際に語尾が変化するということに慣れておらず、文語の動詞であっても連体形の活用をさせずに、終止形のまま使う方が良さそうに感じられてしまうのではないでしょうか。ゆえに文語の「憂う」も、終止形と連体形が同じ形で使われてしまうわけです。
「憂える」より「憂う」になじみ?
「憂う」でなく、終止形と連体形が同じである口語の「憂える」を使えばよいのですが、「憂う」が根強く残っているのには新聞も一役買っていそうです。というのは「憂うべき~」が一つの定型句だから。「憂うべき流血の連鎖だ」というタイトルの毎日新聞社説もありました。
「憂えるべき~」でも間違いではないのですが、やはり「べし」という文語の助動詞につなげる以上は「憂うべき~」が自然です。この形を見慣れているため、「憂う」が現在でも基本形であって口語でも普通の動詞である、と捉える方が多いのではないかと考えます。
ちなみに現代国語例解辞典(5版)では口語の「憂う」を上一段活用動詞と書いていて驚きました。
上一段活用は「見る」のように「『イ』段の音+『る』」が基本形ですから、「憂いない(未然)」とか「憂いれば(仮定)」のように活用するということ? それならば終止形は「憂う」ではなく「憂いる」になり、そもそも「憂う」という見出し語にはならないはずですが……。
連体形は「憂いる声」か。こちらはアンケートの選択肢に含めませんでしたが、さすがに苦しいでしょう。
「憂う声」よりは「憂える声」が無難だが
アンケートの結果から見て、五段活用の「憂う」はかなり受け入れられているようですが、今のところオフィシャルな文章などでは避けたほうが良く、「憂える」の使用が無難です。
しかし、古文から現代語への変化のように文法も使いやすくシンプルになっていくのだとすれば、この「憂う」も広く認められる可能性は十分持っていそうです。
(2019年06月07日)
このたび改訂された毎日新聞用語集の「誤りやすい表現・慣用語句」のページに「憂う/憂える」の使い方が書き加えられました。「政治を憂う声」を「憂うる声」もしくは「憂える声」に直す、というルールです。
引用すると「『憂う』(文語)は下二段・上二段活用で、『声』にかかる連体形はともに『憂うる』となる。口語『憂える』(下一段)の連体形は『憂える』となる」。文語体で書くなら「憂うる声」、口語体で書くなら「憂える声」が正しく、「憂う声」は終止形を使ってしまっているため文法的に不適切、ということになります。
新語の採用に積極的な三省堂国語辞典(7版)では「憂う」について、新しい言い方だと注釈を付けながら、口語の五段活用の動詞であるともしています。憂わない(未然)/憂います(連用)/憂う(終止)/憂う声(連体)/憂えば(仮定)/憂え(命令)……といった具合に活用するということでしょうか。
三国に従えば「憂う声」もあり、ということになりますが、多くの辞書はこの形を認めていません。アンケートではどれぐらい選ばれるでしょうか。
(2019年05月20日)