「九州は験がいい場所」。今回の大相撲九州場所前に横綱・白鵬がこう語ったという毎日新聞の記事に対し、読者からご意見をいただきました。「『げん』は『縁起』の読みがひっくり返った『ぎえん』がつづまった語なので『験』の字は無理があるのでは」
確かにそういう説はあるのですが「日本国語大辞典」(小学館)はあくまで「一説」と断っています。「験」には元々「霊験あらたか」などの言葉が示すような「仏道などの修行による不思議な効果」の意味があります。それが一般的な「吉凶の兆し」の意味に広がったと考える方が自然ではないでしょうか。とすると「験がいい」という表記は無理がないことになります。辞書にも「験がいい」という用例はあります。
そもそも語源というのははっきりしないものが多いから、いくら流布していても必ずしも正しいとは限らないようですね。たとえば「師走」。たぶん12月に入ると、どこぞの政治漫画で「先生も走る師走だなあ」などと、衆院選にひっかけて描かれるでしょう。師走の「師」とは元々は法師、つまり僧侶のことだと解説する人もいるようです。しかし、実は「師が走るから師走」という説そのものがどうも眉唾らしいのです。
国語学者の新村出(しんむら・いずる)は「取るに足りない」、金田一春彦も「作った感じをまぬかれない」と退けています。日本国語大辞典の語源説欄をみると①四季の果てる月の意で「四極(しはつ)」から②「年果つる」の義③セハシの義――など諸説紛々。定説はないのです。ちなみに陰暦10月の異称「神無月」も、神々が出雲に出かけていなくなる月とよくいわれますが、同辞典では実に11の語源説があります。
定説がないので、少々怪しげでも分かりやすい語源が支持されるのでしょう。ただ、一つの説を妄信し他の説を顧みないのは、験担ぎだけしてろくに稽古(けいこ)しないお相撲さんと同じで、発展性がありません。語源というのは探れば探るほど面白くなります。自分の頭で語源の謎に分け入ると、新たな発見があるかもしれません。
【岩佐義樹】