プロ野球やサッカーやゴルフの原稿を読むのに追われ、いつも多忙なスポーツ面担当だったある日。出てきたのは「全日本実業団ハンドボール選手権」の対戦成績・スコアだった。早速、「日本ハンドボールリーグ」のホームページと照合してみた。チーム名や得点を見ていくと、原稿にある「トヨタ紡績九州」というチーム名、ホームページでは「トヨタ紡織九州」とある。決勝リーグに残ったチームはどれも強豪(のはず)、間違えるなんてことあるかしら。しかし念のため、と問い合わせてみたところ、やはり強い送球チーム「レッドトルネード」を持っていたのは「トヨタ紡織九州」であった。
紡織と紡績は段階は違えど同じく糸に関することば、しかも字面もとてもよく似ている。間違いやすいのも無理はないと思ったが、その分注意して見なければと目をこすった。
他にも「太平工業」「太平電業」は「大平工業」「大平電業」ではない。しかし「大平洋金属」は「太平洋金属」ではなく、「大陽日酸」(「大陽酸素」が合併で商号変更)は、いくら光合成が、と思っても「太陽日酸」ではないのである。読み方は一緒だが、「東京製綱」を「東京製鋼」としてはいけない。おお目がちかちかする。
間違いやすいのは相似る漢字ばかりではない。カタカナがくせものである。円の中にイヌの顔、「ブルドックソース」は、なにせ商品に「Bull-Dog」とあるもんだから、「ブルドッグソース」と思ってしまいがち。しかし会社名は「ブルドックソース」である。なぜ「ク」?
ブルドックソースのホームページに、なつかしの商品ラベルが羅列してある。会社創業は明治末期、大正15年に今の社名となり、そのころからラベルにも「ブルドック」の文字が登場する。中には「ブルドック印優良コセウ」の文句も。もちろん文字は右から左に書かれている。そうか。時代は「コセウ」の時分。「ブルドック」に違和感がなかったのも当然である。
似たような例が他にもある。「ブリヂストン」は創業者・石橋正二郎氏の名字をひっくり返したとか聞いたことがあるが、「ブリジストン」ではない。彼は昭和5年4月9日午後4時に、日本第1号のタイヤを誕生させた人物。「椿本チエイン」は椿本説三氏がこれまた大正時代に創業した会社、昭和45年に「椿本チヱィン製作所」から今の社名に変更。しかし創業者の魂こめた名前は変わらず。また「♪コーヒーギフトはAGF」でおなじみ「味の素ゼネラルフーヅ」は、「ゼネラルフーズ」ではない。
さてここで「ニッカウヰスキー」。これも「ニッカウイスキー」では決してない。「ニッカウヰスキー」は、本場モルトウイスキーを学ぶため大正時代、単身スコットランドに渡った男、竹鶴政孝が昭和9年に創立した会社である。ドイツに留学した森鷗外が「ヰタ・セクスアリス」と題したように、本場を経験した男は/wi/の発音にこだわったのだろうか。このように本場の発音にこだわっている(?)のが民間気象会社「ウェザーニューズ」。「ウエザーニュース」とかってダサイって。そして「日本コロムビア」は「コロンビア」ではない。なぜならつづりは「Columbia」、南米の「Colombia」とは似て非なるもの。ただし前者の方は、米コロンビア大学にあてはまる。日本語は複雑であると同時に実に単純である。
英語の響きにだまされてもいけない。「ここはボクがもつよ、アメックスで」なんてスマートにやってみたいのは「アメリカン・エキスプレス」。「エクスプレス」かと思ったら。
そして最後にまとめて大文字小文字シリーズ。「キヤノン」「キユーピー」「シヤチハタ」「三和シヤッター工業」「東洋シヤッター」、それに「富士フイルム」。なぜ不自然に大文字なのかといえば、これらはその昔、商業登記規則において、商標登録や商号の登記に小文字が使えなかったなごりだという。
ちなみに会社名の登記については、明治の商業登記制度発足以来、漢字、平仮名、片仮名しか認められておらず、79年の法務省通達で「・」(なかぐろ)を認めた例があるくらい。そこで「NTTドコモ」や「NEC」「JCB」「JTB」「JR東日本」「日本IBM」など対外的にローマ字を使っている会社でも、登記上の社名はそれぞれ「エヌ・ティ・ティ・ドコモ」や「日本電気」「ジェーシービー」「ジェイティービー」「東日本旅客鉄道」「日本アイ・ビー・エム」となっている。しかし法務省は02年、ついに商業登記規則を改正、「日本文字の他に、ローマ字(大文字および小文字)、アラビヤ文字、次の符号(『&』『’〈アポストロフィー〉』『,〈コンマ〉』『‐〈ハイフン〉』『.〈ピリオド〉』『・』)を用いることができることとする」と通達した。これを受け「東陶機器」の登記名だった「TOTO」は、07年5月に商号も「TOTO」に改めた。ただし、「NTTドコモ」以下上記した会社は、正式名と違っていても、新聞表記のうえではそのままでよい。
【湯浅悠紀】
(画像はブルドック社のサイトから)