学校のクラスで出席を取る時に「市川さん、桂さん、神田さん」と呼ぶのは何も問題がない。しかし、呼ばれた人たちが「市川染五郎さん、桂文楽さん、神田伯山さん」だったら、どうだろう。伝統芸能の世界では、一般の名字と同じような使い方をすると、そぐわないことがある。その事情について、書いてみよう。
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「全員佐藤さん」になったらどうするか
東北大学の研究チームが今年公表したシミュレーション結果によれば、現在の夫婦同姓制度が維持されたという前提で試算すると、2531年には日本人の名字は全員「佐藤」になるそうだ。
選択的夫婦別姓が導入されれば結果は違ってくるし、非婚率の変化なども考慮しなければならないだろうが、もともと多い名字の「佐藤」がどこまで広がるかという点で、興味深い研究だろう。仮に、「全員佐藤」になったら不便はないのか。ヒントはすでに歴史の中にあるようだ。
今回は1億人以上の日本人を対象にして試算したので、「全員佐藤」は2531年と推定されているが、1000人に満たないような小さな集落で、「全員ほとんど同じ名字」となってしまう例は各地にあるだろう。お互いに「佐藤さん」と呼ぶとややこしい状況で、どういう配慮によって不便を避けるか。
戸籍などの正式な書類では住所や生年月日が氏名と併記されるので、氏名がまったく同じ人でも混同はされにくい。だが、日常の呼び方ではそういうデータをいちいち挙げるわけにもいかないので、例えば、「一本杉の所の太郎」などと、住む家の目印をつけて呼べば、複数存在しそうな「佐藤太郎」の中で区別できるかもしれない。
あるいは、「乾物屋の太郎」とか、商売をキーワードにする方法もあるだろう。「屋号」は出身などを表す場合もあるので、武蔵の国から来て、婚姻などで「佐藤」になったのなら、「武蔵屋の太郎」と呼ばれるかもしれない。
日本人が「全員佐藤」になった場合は、先人の知恵を使うか、あるいは今以上に個性のある「キラキラネーム」をつけて、その下の名前だけ呼び合う社会になるのだろうか。
「下」が大事な落語家の名前
「小さな村」の例を挙げたが、規模が似ているのは、伝統芸能の世界だ。能・狂言、歌舞伎、落語、講談など、そこは世襲や師弟の襲名で芸名が継承されていくので、家族や一門のつながりがわかりやすいように、同じ名を名乗ることが多い。ここでの「名」とは、前述した市川、桂、神田などの「上の名前」のことだ。落語では「三遊亭」「古今亭」などが有名なので、「上の名前」を「亭号」と呼ぶことがある。
しばらく使われておらず、師匠とは趣が違う名跡を継いだり、一門で「派生」した亭号を継いだりすることもあるが、おおむね師匠と弟子は同じ亭号を名乗っている。だから、落語家が集まっている所で、事情をよく知らない人が「桂さん!」と呼びかけると、10人以上が「はい!」と返事をするだろう。「桂」が多い大阪ならば、10人ではすまないかもしれない。これは大変不便だ。
「桂さん」という一般の名字があるから、つられてそう呼んでしまうのかもしれないが、これを落語の別の名に置き換えて「古今亭さん!」と呼んでいるのと同じだと考えれば、不便以上に「変な呼び方」だとわかるだろう。一門などグループの印象を話す時に「古今亭(に属する多くの人)が得意とするネタは」と表現することはあるが、基本的に個人を「古今亭さん」とは呼ばない。
では、どうするのが望ましいか。インタビューの冒頭で紹介する時は「桂文楽さん」で良いが、その次からは「文楽さん」と下の名前を呼べば、一門の他の人たちと区別できる。実際に落語家と対面した場合、相手が真打ちであれば「文楽さん」と呼ぶより「文楽師匠」と呼んだ方が良い時もあるが、基本は「文楽さん」だ。
これはほかの伝統芸能でも同じと考えて良い。「市川さん」ではなく「染五郎さん」、「神田さん」ではなく、「伯山さん」である。口頭で呼びかけるのを前提に「法則性」を書いたが、文字で表記する時も準用できる。たまたま、1本の記事に「神田伯山さん」しか出てこないと、2回目の表記を「神田さん」としても、不自然に感じないかもしれない。
しかし、同じ記事に「古今亭文菊さん」が出てきたら、「神田さん」「古今亭さん」と書くわけにはいかない。ついつい「神田さん」「文菊さん」と書くかもしれないが、それではダブルスタンダードだ。「伯山さん」「文菊さん」でないとまずい。
公家や武士が「諱(いみな)」を使っていた時代、諱を「忌み名」として、本人が亡くなってから呼ばれるものと捉え、目上の者以外は、生前になるべく諱で呼ばないようにしていたという。時代劇で有名な「遠山の金さん」は「遠山金四郎景元」であるから、「遠山」と名字を呼ばない場合は、諱の「景元」と呼ばずに、「金四郎」や官職の「左衛門尉(さえもんのじょう)」と呼ばれたらしい。「景元」と呼んだ可能性があるのは、親や老中、将軍だろうか。
住所が名前の代わりに
落語家に呼びかける時、下の名前を呼ぶべきだと書いたが、あえて下の名前さえ呼ばないで誰だかわかるようにする方法もある。
八代目の桂文楽は、自宅の場所から「黒門町」「黒門町の師匠」と呼ばれたし、先日テレビ番組「笑点」を勇退した林家木久扇さんの師匠である林家彦六は、同じように「稲荷町」と呼ばれたそうだ。芸名をかつての諱のようにして呼ばないというわけではなく、あえて遠回しな言い方をして粋なニュアンスを出す工夫なのだが、桂や林家一門で、誰のことを指すか分かるようにする知恵でもある。
今年の1月に東京・目白台にある田中角栄元首相の邸宅で火災が発生したが、この角栄氏も「目白」「目白の」と呼ばれていた。確かに、田中も佐藤に匹敵するほど人口が多い名字で、元首相では第26代の田中義一がいるし、足尾鉱毒問題の解決に奔走した国会議員の田中正造もいた。
角栄氏が政界にいた1947~89年の閣僚名簿を見ても、角栄氏以外に「田中」という大臣は5人いた。田中姓は官界にも多かったと思われ、角栄氏も「目白」など異名が必要だったのだろう。目白に住所がある他の「田中さん」もいたかもしれないが、「目白御殿」とまで呼ばれた豪邸から、「目白の」といえば角栄氏を指したのだ。
歌舞伎の方では、自分の親や師匠と同格の人を「おじさん」と呼ぶが、これも同じように住所から「●●町のおじさん」と呼ぶことがある。「稲荷町」のように、古くからある地名は粋だが、今時の「高輪ゲートウェイのおじさん」となると、ただの親戚のおじさんみたいになってしまう。
家族ごとの「屋号」も
歌舞伎では、芸名と別に「屋号」と「俳名」というのもあって、かつて尾上菊五郎の屋号と俳名は「音羽屋梅幸」であったという。「梅幸」はのちに芸名としても使われるようになるが、「音羽屋」は尾上菊五郎親子や弟子たちを表す通称にもなった。屋号にはそれぞれ由来があるが、「小さな村」の段落で述べた「乾物屋の太郎」のように、家族や個人を特定する役割がある。歌舞伎の観客でベテランが、大向こうからかける声も、基本的には「●●屋!」とこの屋号を使う。
一見同じに見える「市川」でも、それぞれ一門の違いで「成田屋」「高麗屋」「沢瀉(おもだか)屋」などと屋号が違う。こうして見ると、伝統芸能においては、「上の名前」よりも「下の名前」、あるいは住居の場所や屋号が重要なキーワードであるとわかる。
ルールというより「配慮」
伝統芸能でなるべく「下の名前」を呼ぶ習慣は押さえておくべき点だが、あくまで報道などで他の演者と区別しやすくするためのルールなので、亭号など上の名前を呼んだら「間違い」とまでは言えない。
最近、松本幸四郎さんによってドラマ・映画の「鬼平犯科帳」がリメークされて話題になっているが、幸四郎さんの叔父にあたる「先代鬼平」の二代目中村吉右衛門は、祖父である初代中村吉右衛門の養子となって二代目を継いだ。
この初代吉右衛門は、夏目漱石門下の集まり「木曜会」にも顔を出していたというが、吉右衛門にしてみれば敬愛する漱石が自分を「中村さん」「吉右衛門さん」「播磨(はりま)屋さん」と、どのように呼ぼうが、気にしなかっただろう。親しい間柄なら、呼び方に制約はないし、木曜会に中村という役者がもう一人いたわけではないから、支障はなかったはずだ。
ただ、「鬼平犯科帳のリメークについて、松本さんは」としたニュースに接した読者やユーザーが、インタビュアーや記者を伝統芸能に詳しくないと判断する可能性はあり得る。校閲する側も十分に配慮したいところだ。