きょうはひな祭り。5段や7段の大きなひな壇でなくても、2体だけでも華やいだ気分になるのでは。さてこの男女一対の内裏びなをどう並べますか。男性は右? 左? そもそもどちらから見た右左なのでしょう。
「舟を編む」のドラマがNHKBSで放送中ですね。映画のイメージが強いのですが、原作では中ほどに登場する、ファッション雑誌から辞書編集部に配属された女性を主人公に据えたことで、新たな物語作りに挑戦しています。
第1回でヒロインが「右」という言葉をどう説明するかと問われ、遠慮がちに差し出した紙には
→
とありました。
目次
「左」の語釈は話題にならないが
おおっ、この手があったのか!と目からウロコが落ちました。
「右」の定義は辞書による違いがよく話題になりますが、どんなに知恵を絞った説明の言葉も一瞬でなぎ倒す、コロンブスの卵ではないかーーそう思ったのですが、辞書編集スタッフの反応はいま一つでした。
多分、→を描いただけでは、見る方向によっては右が右でなくなってしまうことが弱点だったのでしょう。
それにしても、辞書の話題といえば必ずといってよいほど「右」の語釈が取り上げられ、「左」はほとんど語られません。「右」さえ分かれば「左」はその逆ということでしょうが、「左」から話題にすることがなぜ少ないのでしょう。もしかしたら無意識のうちに「右」を優先しているのかもしれません。
右と左はどちらが上か
さて、きょうは3月3日のひな祭りですが、内裏びなの並べ方は時々話題になります。
一般的には、おびなは向かって左、めびなは向かって右が多く、京都を中心にした関西では逆とされることが多いようです。「向かって●」は、くるりと人形の視点に目を移せば、左が右に、右が左になり、視点の変化によって左右の位置も正反対になるということになります。
では、右と左ではどちらが上位なのでしょう。
「右に出るものがない」という慣用句があるくらいですから、右が上位のような気がします。だから、天皇をかたどったとされる男性の内裏びなは、人形の視点で右(向かって左)に位置するのでは?
ではなぜ京都などでは逆なのか。そこには、日本語と日本文化の独自性がからんでいるようです。
ひな飾りの「右大臣」は向かって右ではなく左で主に若者、「左大臣」は向かって右で老人の姿が多いのですが、これは序列を表しているのです。もっとも正確にはともに「随身(ずいじん)」なのですが、それはともかく、左大臣が上位で、日本では左が右よりも上だったのです。
「うれしいひなまつり」の間違い
ちなみにサトウハチロー作詞の「うれしいひなまつり」の3番には「赤いお顔の右大臣」とありますが、「実際の若い右大臣の方は顔が白く、年寄りの左大臣の顔が赤みを帯びているのが普通」(読売新聞文化部「唱歌・童謡ものがたり」岩波現代文庫)。これは「左大臣」でないとおかしいと言われています。
「うれしいひなまつり」といえば「お内裏様とおひな様」というのも、内裏びなは男女一対なので不適切とされています。今年も、その誤解に基づく「おだいりさま」「おひなさま」と記す原稿があり、指摘して「片方のおひなさま」などと直りました。
話を戻し、「左」を大野晋「古典基礎語辞典」(角川学芸出版)で調べると、とても詳しい解説があります。多少略して引用します。
ヒ(日)イダ(出)リ(方向)の意で、日の出る方向を表すか。
左・右を表す語は、諸言語では、左手・右手を表す語に由来する場合と、太陽の輝く南を正面にして日の出る方向と日の沈む方向を表す語に由来する場合とがある。
古く日本では左が右より尊いとされた。アマテラスはイザナギの左目から生まれ、右目からはツクヨミが生まれたとする。官位でも、例えば左大臣は右大臣よりも上位である。舞台に立っては左は上手(かみて)、右は下手である。したがって、左右の二つを並べあげるとき、「左、右」と、左を先にあげるのが普通。「右、左」と、右を先に表現することが出てきたのは近世からか。ただし、中国では「左遷」の語が示すように、右をすぐれたものとしている。
「向かって」がないと分かりにくい
「右に出るものがない」が中国などの影響であることは想像できますが、ひな人形の場合はどうでしょう。古来向かって右がおびなだったのが、向かって左が増えてきたのは、「明治以後、洋装正式の両陛下の位置は逆になったため、雛の飾り方も混乱」(「万有百科大事典」小学館)したということです。
ただし、例えば江戸時代中期の浮世絵師、西川祐信や後期の画家、川原慶賀の内裏びなの絵には、向かって左におびながあり、江戸期でも必ずしも統一されていなかったようです。
ここに付けた写真は妻の実家から贈られたひな人形で、妻は関西出身ではありませんが、自分から見て右がおびなと教わったといいます。単純に関西は向かって右というわけではなく、それぞれの家の流儀で飾ればいいと思います。
それにしても思うのは、この手の説明では単に「左」「右」と書くと「向かって右?」「人形から見て左?」などと混乱することです。多少煩わしくても「向かって」などの条件をいちいち付ける方がよいでしょう。
そして、辞書の「左」の語釈も、いろいろあるのはたいへん面白くて話題になりやすいのは確かですが、太陽語源説を踏まえると「南に向いたときの東」という説明の「右に出るものがない」という気がします。我ながら苦しい表現ですが……。
【岩佐義樹】