故やなせたかしさんは「手のひらを太陽に」の歌詞で「生きているからかなしい」とまず「悲」から始めた理由を「悲喜こもごも」という言葉とからめて語っていました。今悲しいと感じる人も、必ず喜びが巡ってきます。
「いいことだけ思いだせ」に救われる
2025年春から始まるNHK連続テレビ小説は、やなせたかしさんとその妻をモデルにした「あんぱん」です。
私はアンパンマンで育った世代ではないのですが、子供を持って「アンパンマンたいそう」という歌を聴き、取り返しの付かない失敗をしてがっくりきたときなどに「い~い~ことだけ、い~い~ことだけ、思いだせ」と口ずさんで、どれだけ救われてきたことでしょう。
さて、やなせたかしさんがNHKの「100年インタビュー」という番組で、「手のひらを太陽に」の歌詞を問われたさい「悲喜こもごも」という言葉に触れています。これに触発され私は「サンデー毎日」の連載コラム「校閲至極」に執筆し、毎日新聞出版発行の単行本にも収録されました。いろいろな意味で今の時期に合うと愚考しますので、転載します。
生きているから「悲喜こもごも」
受験シーズンです。選別によって明暗が無情に分断されます。その発表の場は、しばしば「悲喜こもごも」と表現されます。
実はこの使い方は問題なしとしません。『大辞泉』では「一人の人間が喜びと悲しみを味わうこと」なので「悲喜こもごもの当落発表」のように「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」の意で使うのは「誤り」と明記しています。
しかし、毎日新聞校閲センターが運営するサイト「毎日ことば」のアンケートで意味を問うたところ、「喜ぶ人と悲しむ人が入り交じる」を選んだ人が47・7%と、「喜びと悲しみが交互に訪れる」の40・9%を上回りました。
誤りとされる使い方の方が多いからといって、「悲喜こもごも」を試験の当落発表の場に安易に用いてもいいとは思いません。でも、次の使い方はどうでしょう。
「ピアノコンクールという、さまざまな国籍の人たちが集まって優勝を争う勝ち残り方式のイベントにはまさに悲喜こもごものドラマがあり」(恩田陸『蜜蜂と遠雷』幻冬舎文庫)
その場を単に、落選者の悲しみと勝ち残った者の喜びが入り乱れると捉えるなら「悲喜こもごも」は不適切かもしれません。しかし、参加者が予選、本選と進む中、それぞれ喜びや悲しみが交互に訪れるドラマを体験していると解釈すれば「悲喜こもごも」でも間違いとはいえない気がします。いずれにせよ、本来の意味を知った上で使っているのか知りたくなります。
そんなことを思っていたころ、今は亡き「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんのインタビューをテレビで見ました。やなせさんは「手のひらを太陽に」の作詞者でもあります。その歌詞の1番が「生きているからかなしいんだ」、2番が「生きているからうれしいんだ」と、悲しいのが先になっているのはなぜかという質問に、やなせさんはこう答えます。
「悲喜こもごもと言うでしょ。喜悲こもごもとは言わない。悲しみがあって、喜びがある」「悲しみというのは、ずーっと続くわけじゃない。その後には喜びがある」
やなせさんも幼い頃、父親が死んで親類に預けられたり、戦争で弟を失ったり、漫画の仕事がなかったりと不幸を重ねてきました。だから人生は悲しみが先という認識があるのでしょう。しかし「アンパンマン」などで人々に生きる希望を与えてきました。「手のひらを太陽に」も「悲喜こもごも」の意味を自分のものとした上で感動的な歌詞に変換しています。
今、何らかの悲しみに直面している人には、本来の意味での「悲喜こもごも」という言葉をかみ締めてほしいと思います。「生きているからうれしいんだ」と言える日まで。
【岩佐義樹】=初出はサンデー毎日2021年2月14日発行号