8月6日の広島「平和記念式典」と、9日の長崎「平和祈念式典」。被爆地で毎年開かれる二つの行事は、よく見ると表記に違いがあります。その違いに込められた意味とは? 毎日新聞掲載の校閲記者による過去の特集を紹介します。
8月6日の広島「平和記念式典」と、9日の長崎「平和祈念式典」。被爆地で毎年開かれる二つの行事は、よく見ると表記に違いがあります。しばしば混同される「記念」と「祈念」を正しく書き分けるために、それぞれの名称に込められた意味を探ってみました。
目次
広島は「平和記念」、長崎は「平和祈念」
きねん
広島=平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式)、平和記念公園。長崎=平和祈念式典(長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)、平和祈念像
これは「毎日新聞用語集」が、式典の名称関連語をセットで参照できるよう「きねん」の項に載せている注意書きです。他の報道機関や日本新聞協会が発行している用字用語の手引にも同じような注記があり、それだけ誤りやすいことの表れとみることもできます。
もっとも、記念と祈念の2字だけ取り出せば区別はさほど難しくないでしょう。記念は「思い出となるように残しておくこと」や、式典のように「何かを行って過去の出来事や人物などを思い起こし、気持ちを新たにすること」(明鏡国語辞典)。祈念は願いがかなうよう祈り念じることで、多くの辞書は特に神仏に祈る意としています。
広島も長い名称だと「祈念」…なぜ違う?
素朴な疑問が浮かびます。広島の式典は正式名称に「――平和祈念式」とあるのに、なぜ縮めると「平和記念式典」なのでしょうか。
広島市によると、1947年に「平和祭」の名で始まった式典は、その後「慰霊式ならびに平和記念式」など「記念」を使った時期を経て、68年から現在の正式名称となりました。短い名の方は、65年に現在と同じ平和記念式典、68年に平和祈念式典となった後、75年から「記念」に戻っています。同市は「祈念は原爆犠牲者の慰霊、平和実現のための祈り。記念は恒久平和への市民の誓いを将来に伝え残す継承の意思を強調した表現」として、慰霊式と祈念式を合わせた総称には、継承に力点を置いた「記念」が適切と説明しています。
会場の平和記念公園などを造る基となった「広島平和記念都市建設法」の趣旨説明(49年、衆院会議録)に「世界平和の発祥地として(中略)広島を永遠に記念しなければならない」など継承重視の表現がみられることから、都市建設の原点に近い表記に落ち着いたと言えるかもしれません。
長崎は宗教的な祈りとの関連
一方、同じ会議録の中に、長崎の式典会場の平和公園などを整備する基となった「長崎国際文化都市建設法」の説明も載っています。こちらは「東洋におけるキリスト教伝導の基地」「神の与えられた世界平和確立へののろしに目覚め」など、爆心地がカトリック信徒の多い浦上地区付近だったことを意識してか、宗教的な祈りと関連づける表現が目立ちます。
公園内の平和祈念像(55年完成)は、制作した彫刻家、北村西望による碑文に「時に仏時に神」とあるように、特定の教義に沿ったものではありませんが、「『記念』ではなく、平和を祈り念ずる『祈念』の碑となって初めて世界的な意味のものになる」と表記に主張を込めたそうです(北村著「百歳のかたつむり」)。命名を含めた像の試案を長崎市に提出し承認されたのは51年。「原爆犠牲者法要並びに平和祈念式典」と行事名に「祈念」が入ったのは翌52年。同市によれば、像の名が式典の名に影響したことを示す資料は見つからないそうですが、祈念像前で行う今の式典の名は自然で覚えやすいものと言えるでしょう。
さて、全国には「平和キネン――」と名の付く場所や行事が他にも数多くあります。それらを「紛らわしい」と片付けるのは平和への願いを雑に扱うこと。両式典のように違いをかみ締めながら、一つ一つ誤りを防ぎたいものです。
【宮城理志=2018年8月8日毎日新聞「校閲発 春夏秋冬」より】