「植木に水をあげる」「猫に餌をあげる」の「あげる」に違和感があるかうかがいました。
目次
過半数はともに「あげる」で違和感なし
「植木に水をあげる」「猫に餌をあげる」――この「あげる」、違和感ありますか。 |
植木、猫ともに違和感がある。「やる」にすべきだ 25.5% |
植木は「やる」だが、猫は「あげる」でよい 17.3% |
植木は「あげる」でよいが、猫は「やる」 2.2% |
植木、猫ともに「あげる」で違和感はない 54.9% |
「植木、猫ともに『あげる』で違和感はない」という回答が過半数となりました。この問題は一家言ある読者が多いようで、たくさんのツイートをいただきました。代表的な例を二つだけ挙げましょう。
この「やる」は「くれてやる」とは異なり、遣唐使や派遣と同じ「遣る」なので、乱暴なわけではないと思います。あわせて、動植物に、そこまで丁寧な言葉を使う必要を感じません。
「やる」を使うべきだというのは理解していますが、あまりきれいな言葉遣いだと思えないので(この場合の「やる」は、その「やる」ではないことはわかっていますが)、時々「やる」を使うことはあるけれど、基本的に「あげる」を使っているので違和感はないです。
――と、意見も二分されました。
昭和時代は「餌をあげる」は「おかしい」
これは古くて新しいテーマです。文化庁が昭和時代に編集した「『ことば』シリーズ5 言葉に関する問答集2」(1976年初版発行)では次のようになっています。
・〔母親→子供〕ワンちゃんに、ごはんをあげてちょうだい。
・〔娘→母親〕おとうさまは、さっき庭で鶏にえさをあげていらっしゃったわよ。謙譲語の「あげる」をこのように使うと、母親(娘)が自分の子供(父親)を低めてワンちゃん(鶏)の方を高めた言い方になってしまう。それぞれ「ごはんをやって」「えさをやって」と言うべきところである。
このような現象に対し、それを認めてもいいではないかという意見も、一方にある。これらの「あげる」は、謙譲語としての意味が薄れ、言葉をやわらかくし、上品に物を言うための丁寧語(美化語)になってしまったという解釈である。
女性が「やる」を避けて「あげる」を選ぼうとする気持ちは自然であり、こうした傾向が東京を中心に次第に広がっていくことも予想されるが、現在の段階では、そういう現象に対して抵抗感をもつ層もかなりあるので、やはり、おかしい表現と考えておきたい。
「おとうさまは、さっき庭で鶏にえさをあげていらっしゃったわよ」と母親に言う娘が昭和の当時はいたのでしょうか。なんだか小津安二郎などの映画を思わせる古き良き(?)時代の言い方ですが、それはともかく、当時は「餌をあげる」は「おかしい」という結論だったわけです。ただし「あげる」の広がりも予想されています。
平成の指針で容認の方向に
果たして、2007年の文化審議会答申「敬語の指針」ではこうなりました。
例えば 「植木に水をやる」を適切な言葉として選ぶ人は 「あげる」に謙譲語的な旧来の意味を認め 「植木」はその種の言葉を用いるべき対象物ではないと考えている可能性がある。一方 「あげる」を使うと答える人は,この語の謙譲語的な意味が既に薄れていると考え,同時に「やる」という語に卑俗さ・ぞんざいさを感じてこれを避けている可能性がある。現代は,この二つの考え方が言わば拮(きっ)抗している時代であろう。「植木に水をあげる」という場合の「あげる」は,旧来の規範からすれば誤用とされるものであるが,この語の謙譲語から美化語に向かう意味的な変化は既に進行し,定着しつつあると言ってよい。
――つまり、容認の方向に振れています。
明鏡国語辞典3版でも「上げる」の「使い方」として「今は同等またはそれ以下の人にも使う。近年は『金魚にえさを―』『花に水を―』など動植物に対してもいう」とあります。
国語学者の金田一春彦さんは亡くなる少し前、2003年の毎日新聞インタビューで、父親の金田一京助と違う立場を述べていました
私のおやじも、敬語の権威と言われてましたが、どうも窮屈でしたね。例えばよそのうちへ行って、猫がいる。「猫ちゃん、これあげましょう」って言って悪くないですね。ところがおやじは「動物にあげるとは言わない。やると言え」って言いましたよ。桃太郎の歌でもね、きびだんごを「やりましょう」っていう歌詞がありますが、私はそれも抵抗がある。わざわざ一緒に来てくれるんでしょう。「やろう」はないですよ。「あげましょう」の方がいい。その場に適した敬語は、必ずしも教科書通りじゃないんですね。
令和の国語調査では「やる派」も根強い
ところが、文化庁の2020年度「国語に関する世論調査」ではちょっと傾向が違っています。
「植木に水をやる」を使う……63.5%
「植木に水をあげる」を使う…35.1%
別の質問として「うちの子におもちゃを買ってやりたい/あげたい」があり、これは「あげたい」が64.2%、「やりたい」34.5%。対象が植木か子供かで逆の結果になっています。
今回の「ことばの質問」と同じ土俵で論じるわけにはいきませんが、改まって国語の調査、しかも人間と比べられると、植物に関しては「やる」にしようという規範意識のようなものが回答者の選択に影響すると想像されます。
例えば今の牧野富太郎がモデルの朝ドラ主人公は自分が採集した植物を「子」と言っていますが、そういう思い入れがあるものについては「あげる」といえるかもしれません。しかしニュートラルな文章としては「水をやる」がまだ穏当といえるのではないでしょうか。
明治の「桃太郎」をどう伝えるか
なお、金田一春彦さんも触れていましたが、唱歌「桃太郎」の歌詞も「やる」「あげる」で揺れがあります。岩波文庫「日本唱歌集」によると、1911(明治44)年「尋常小学唱歌(一)」では、きびだんごをどうするかというと――
二 やりましょうやりましょう、
これから鬼の征伐に、
ついて行くならやりましょう。
となっています。ですが今、三つとも「あげましょう」と覚えている人や、「あげましょう」「やりましょう」が混在しているユーチューブの動画など、いろいろなバリエーションがあるようです。
それにしても、4番で「つぶしてしまえ鬼が島」、5番で「分捕物(ぶんどりもの)をえんやらや」というのは、現在の私たちからみれば、どうしても侵略・略奪と映ってしまいます。いや、1924(大正13)年に芥川龍之介は既に侵略者としての「桃太郎」を描いています。
「あげましょう」か「やりましょう」かは世代や環境などとのからみで調べていくと面白そうですが、この歌自体が教育上どうかと複雑な思いにもとらわれます。
(2023年06月15日)
「あげる」は本来、上位の相手に使う表現で、植物や動物には「やる」が正しいと言われることがあります。しかし最近、いや、かなり前から、認めてもいいじゃないかという声もあります。▲毎日新聞では明確な基準がないため、各担当者に任されているのが実情です。2000年の記者コラム「憂楽帳」には「後輩記者の原稿にも出てくるようになり、私はそのつど『やる』に直してきた。後輩はけげんそうに『え?』。中には『やる、なんて嫌です』と拒絶反応を示す者もいる」とあります。揚げ句「あげる派」に「白旗を掲げることにした」そうです。▲「やる」という言葉が乱暴な感じがするので嫌われていると思われます。一方「餌やり」「水やり」という言葉は生きているので「やる」が自然という考えもあるでしょう。皆さんは「あげる派」? 「やる派」?
(2023年05月29日)