岸田文雄首相がウクライナへの訪問時、ゼレンスキー大統領に「必勝しゃもじ」を贈ったことが物議をかもしています。その是非はさておき、今回は「しゃもじ」そのものについて調べてみました。この「もじ」って何かご存じでしょうか。
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「もじ」は女房ことば
新聞だけでなく一般的にも「しゃもじ」と書くことが多いと思いますが、漢字で「杓文字」と書きます。なぜ「文字」という文字が付くのでしょう。それは「女房ことば」だからです。
女房ことばは広辞苑で引くとこうあります。
【女房詞】室町初期ごろから、宮中奉仕の女官が主に衣食住に関する事物について用いた一種の隠語的なことば。のち将軍家に仕える女性から、町家の女性にまで広がった。飯を「おだい」、肴を「こん」、鯉を「こもじ」、団子を「いしいし」、浴衣を「ゆもじ」という類。御所詞(ごしょことば)。
ここに挙げられる例は現代ではほとんど死語に近いと思われますが、「お」で始まる例では「おでん」「おじや」「おこわ」「おひや」「おかず」など、今も生きている言葉が少なくありません。一方「もじ」が付く種類の女房ことばはあまりありません。すしを「すもじ」、髪を「かもじ」というそうですが、まず使われません。「お目もじ(会うこと)」「ひもじい(空腹)」は知識としては知っていても自分では使いません。
そんな絶滅危惧種の多い「もじ」グループで今も気を吐くまれな存在が「しゃもじ」ではないでしょうか。杓文字の杓は杓子(しゃくし)の杓。それに「文字」をつけたのですが、なんで女房ことばに「文字」が付くのかはよく分かりません。ただ、現代でも俗語で「ホの字」と言いますね(あれ、これ昭和までかな?)。
天皇の病気快癒から縁起物に
しゃもじは、しゃくしの言い換えだったように元は同じ物を指しました。たとえば、電子図書館の青空文庫で検索すると柳田国男の「木綿以前の事」に「現在では飯をよそうのはシャモジ、汁を掬(く)むものはシャクシと区別するに至ったが、勿論(もちろん)もとは一つである」とあります。また「杓子」に「しゃもじ」と読み仮名を振った例がいくつか見つかります。
「民具の世相史 増補版」(河出書房新社)によると、1895(明治28)年に成毛金次郎が英語で著した「ドメスティック・ジャパン」には既にしゃもじとしゃくしの用途がはっきり分かれていたことがうかがえます。
しゃもじ 木製のへら、匙器。楕円形でわずかに凹面になっている。おもに飯をつぐのに用いる。
しゃくし 木製の杓子。丸くて深さがあり、主に汁物の杓子として用いられる。
今は汁をくむのは「しゃくし」よりも「お玉」ということが多いと思いますが、これは「お玉じゃくし」の略ですね。
オタマジャクシといえばカエルの子ですが、これはその形が似ていたことから。円満字二郎さんの「漢字の動物苑」(岩波書店)によると、熟語「科斗」(オタマジャクシを表す季語「蝌蚪」の元の字)も日本語の「柄のついた汁杓子」と似たようなもので「日本語でも中国語でも、同じ発想で名前をつけている」とあります。
さて広辞苑の「おたまじゃくし」の語釈に「御多賀杓子」とあり、同義語と扱われています。これは何でしょう。
多賀とは滋賀県の多賀大社のことで、そこで出すお守りのことをお多賀杓子というそうです。実は私、偶然ですがその土産のしゃくしを持っています。
これも偶然気づいたのですが、毎日新聞大阪本社版に2020年、多賀大社とオタマジャクシの由来についての記事が載っていました。
天皇の病気快癒の話が由来だった。奈良時代、元正天皇が病にふした際、多賀大社の神主が治癒を祈願し、強飯(こわめし)(もち米を蒸したもの)を炊いて、神木でつくった杓子を添えて献上したところ、たちまち病気が治った。この故事から、霊験あらたかな縁起物として杓子が全国に広まったのだと。
日清、日露戦争で「召し捕る」意味に
さて、今回、厳島神社の土産物としてのしゃもじが取り沙汰されています。これはどういういわれがあるのでしょう。神社検定(神社本庁監修)のホームページによると
寛政(1789~1800年)のころ、島民の苦しい生活ぶりに心を痛めていた誓真という僧が、ある夜弁財天の夢を見て、その手元にあった琵琶の形を真似て杓子を作り、島民に教えたのが始まりだといわれます。参詣者向けの土産物が少なかった当時、宮島土産として人気を得て、全国に広がっていきました。
「この杓子でご飯をいただけば、ご神徳を賜り、福運を招くという縁起物」とのことで、特に戦勝祈願の意味はなかったようです。
それなのに、寺田寅彦が1932年に「千人針」という随筆で「日清日露戦争には厳島神社のしゃもじが流行したように思う。あれは『めしとる』という意味であったそうである」と記したように、「召し捕る」という戦時の戦勝祈願で用いられました。
私は広島県出身で厳島神社にも何度か行っていますが、しゃもじと戦争との関連は知りませんでした。あのしゃもじは、甲子園で広島県出身の高校が応援グッズとしてテレビでカチャカチャ鳴らしているというイメージしかありません。よく中継で「敵を召し捕る」といわれを聞かされましたが、戦争とは無縁のあくまで平和的な応援の一コマとしてです。
今回の戦地訪問でも、好意的に解釈すれば、もしかしたら岸田首相は戦争との関わりは知らなかったのかもしれません。甲子園の応援のように、「ゼレンスキーさん応援していますよ」という無邪気なメッセージだったのかもしれません。ただ、たとえそうだったとしても、本来は平和的なしゃもじが、忘れられていた戦争の記憶を思い起こさせる結果になったことは否めません。
岸田首相がゼレンスキー大統領にどう説明したかは分かりませんが、今回のしゃもじが「飯取る=召し捕る」といういわれがあると仮に言ったとすると、タイミングとしてはなかなか絶妙です。「召し捕る」というと「官命によって罪人を捕らえる」(広辞苑)という意味で、首相のウクライナ訪問の直前にプーチン・ロシア大統領に国際刑事裁判所が逮捕状を出しているのです。
ちなみに、飯(めし)は語源としては「食べる」の尊敬語「召す」から来ているそうです。だから「飯取る=召し捕る」というのはあながち無関係な語呂合わせではないのです。そして「召し取る」と書けば、「上位者の命令で呼び寄せる」という意味で、「召集令状」をイメージさせます。
そこまで首相側に深慮があったかというと、きっと違うでしょうが、どうも連想があらぬ方向にむかってしまいます。単純に「ご飯をしっかり食べて元気でがんばってください」という意味でしゃもじを贈ったのならよかったのですが(いや、あまりよくないか)、戦地の大統領に「お目もじ」する土産としては、そういう明るいメッセージではなかったことは確かなようです。
【岩佐義樹】