コラムの「今年は寒かったです。」という文末をどう思うかうかがいました。「形容詞過去形」プラス「です。」の言い切りがどれくらい受け入れられるか測るというのが目的です。
目次
伝統的には「寒うございました」ですが…
コラムの原稿に「今年は寒かったです。」とあるとします。どう思いますか? |
違和感はない 17.7% |
やや稚拙な感じはするが許容範囲 47% |
「今年は寒うございました。」としたい 4.6% |
「今年は寒かったですね。」としたい 30.7% |
「やや稚拙な感じはするが許容範囲」「違和感はない」を合わせ3人に2人が許容している数字となりました。たいへん興味深い結果です。
出題者は「寒かったですね」が最多になると予想していましたが見事に覆されました。伝統的な文法として正しい形のはずの「寒うございました」は5%足らずにとどまりました。
「寒うございました」などの形で思い出されるのは、1964年東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取り、68年に自殺した円谷幸吉の遺書です。
父上様 母上様 三日とろろ美味しうございました。
干し柿、もちも美味しうございました。
……などと続く「美味しう(おいしゅう)ございました」の悲しくも美しいリフレイン。このころは「ございました」が生き生きしていたことがうかがえます。
国語審議会のお墨付きでも「仮面夫婦」
しかし、それから10年もしないころ、朝日新聞記者(当時)の本多勝一さんは「日本語の作文技術」(1976年出版)で「最近べらぼうに多い」違反として「うれしいです」「悲しかったです」「よかったですか」などを挙げ「サボり敬語」と名付けています。
この誤った用法が発達したのは、敬語を正しく使えない人々が何でもかんでもデスをつけてごまかした結果かもしれない。「うれしうございます」といえなくて「うれしいです」とごまかす。「あぶないです」は「危険です」か「あぶのうございます」のごまかしだろう。つまりこれは敬語のサボり用法というべき邪道なのだ。
山田敏弘・岐阜大学教授も、形容詞に「です」の付く不自然さについて「国語審議会が昭和二七年に認めた形とはいえ、まだ仮面夫婦のような関係」「単独では形容詞と仲睦まじくできない『です』が、『よ』『ね』『か』など終助詞を『かすがい』に形容詞にくっついている」と書いています(「日本語あれこれ事典」2004年)。
ここで出てくる「国語審議会」、今は文化審議会に改組されていますが、戦後まもなくの1947年、「これからの敬語」という建議を行いました。その中に一言「形容詞の結び方――たとえば、『大きいです』『小さいです』などは、平明・簡素な形として認めてよい」とあります。
「ね」を入れると「相手に押し入る」
とはいえ、山田教授がいみじくも言うように「仮面夫婦」の状態が長く続いたのですが、76年後の今回のアンケートでは、本当の夫婦といえなくても「まあ、それもありだね」と思う人が多数派になったことがうかがえます。
山田教授が「かすがい」としている「ね」を付ける形が今回意外に少なかったのはなぜでしょう。やはり「寒かったです。」と「寒かったですね。」ではニュアンスが変わることが一因でしょうが、単なる語感以上の違いがあることが感じられたのかもしれません。
たとえば、手料理をごちそうして「おいしいです」と言われ「よかったです」と返す場面を想像してください。「よかったですね」と言うと意味が違ってきますよね。「よかったです」だけだと相手がおいしく食べてくれて「自分がよかった」という気持ちですが、「よかったですね」だと、食べた相手が「よかった」ことを確認している形になります。
昨年亡くなった精神医学者の中井久夫さんは「私の日本語雑記」(2010年)で「『ですね』は相手を巻き込む含み」、「『よ』は念押しの含みがあって、いずれも相手に押し入っている感覚がある」と述べています。
です・ますコラムは「独語」と「対話」の中間
逆に言えば「よかったです。」「寒かったです。」の言い切りは相手の同意を必ずしも必要としない、いわば「独白」と同じことといえるかもしれません(ただし、「おいしいです」「よかったです」は独白の形のような対話ともいえます)。
国語学の権威、橋本進吉の分類によると「です・ます体」は「対話体」、「である体」は「独語体」に相当するそうです(すみません、昨年出た平尾昌宏さんの「日本語からの哲学――なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?」からの孫引きです。これは哲学書なので書き方の参考にならないかもしれませんが、文末表現が世界像につながるという視点は刺激的です)。
しかし「です」を付けても独語に近くなりうることが、「です・ます体」の文章にはあるのではないでしょうか。コラムの「です・ます体」文章というのは「対話体」と「独語体」の中間に当たると思います。
コラムの「今年の冬は寒かったです。」は個人の感想である「独白」、あるいは客観的な事実の面があると同時に、「寒かった。」ではなく「です」が入ることで、読者に向けた語りかけの側面もあります。その危ういバランスの上にぎりぎり成り立っている文といえるかもしれません。
言い切りを避ける書き方はいろいろ
ちなみに、本多さんは「日本語の作文技術」の自注で「『あぶないです』を嫌う私の態度も、結局は趣味の問題にすぎないのかもしれない。だからといって『どうでもいい』わけではないが、趣味を他人に押しつけるのは悪趣味ということにはなる」とトーンダウンしています。
出題者が個人的に監修を請け負った、敬語を二者択一で選ぶ年少向けアプリでも、丁寧語にする問題の正解は「形容詞プラスです」の形です。「寒うございます」などという選択肢はありません。
ただ、アンケートを受けた投稿では、ほとんどが「形容詞過去形」プラス「です」に否定的でした。容認派は多いのですが、気にする人はけっこういるということです。出題者も、自分の「です・ます体」の文章では意識的に「……かったです。」を避けています。
ではどう書き換えるかというと
・「これは皆さん同感できそうだ」と思ったら「今年の冬は寒かったですね」
・自分の感覚を前面にしたいなら「今年の冬は寒かったと感じます」
・「今年の冬は寒かったのですが、ようやく暖かい日も多くなりました」などと文をつなげる
・「今年の冬は厳しい寒さでした」と名詞化する
――などと、状況に応じ使い分けています。
「です・ます体」の形容詞は不自由ではありますが、対処法はいろいろあるのです。
(2023年03月09日)
普通の新聞記事は敬体の「です・ます」を使わない文章がほとんどなのでさほど問題になることはないのですが、コラムや投書は敬体が少なくありません。このサイトの「質問ことば」など敬体です。▲その文体で悩むのが、形容詞プラス「です」の扱いです。明鏡国語辞典は「『少し暑いですね』のように『ね』『よ』『か』などの終助詞を伴う形は普通に使われるが、『ちょっと暑いです』のように『です』で言い切る形はぎこちなく感じられる」と記します。▲本来は形容詞を丁寧に言うと連用形にし「寒うございました」と続けるのが規範的なはずですが、もはや逆に違和感を起こさせるだけではないでしょうか。とはいえ「寒かったですね」となると、個人の感想かもしれないのに同意を求めるニュアンスに変わってしまいます。悩ましいです(ね)。
(2023年02月20日)