寺社に油のような液体がかけられるという事件が相次いでいる。さまざまな人々が手をかけて今日まで美しく残してきた建物が汚される光景には心が痛む。
テレビには被害を受けた寺社が毎日のように映ったが、その中に奈良県桜井市の長谷寺もあった。今年1月、初詣と観光を兼ねて訪れたばかりだ。冬のさなか、木々は葉を落としていたが、こもで覆われた冬ぼたんが愛らしく、登廊(写真)はとにかく壮観、舞台からは大和の山並みが見える、美しい寺であった。駅から寺まで向かう道ものんびりとしており、道端には猫がひなたぼっこをしていた。あのほのぼのとした町の人々や寺の関係者の方々も胸を痛めていることだろう。
その長谷寺は西国三十三所の第八番札所である。西国三十三所とは、「お遍路」として知られる四国八十八カ所と同じ、広い範囲にまたがる巡礼地であり、岐阜県と近畿2府4県にある33の寺院のことだ。起源は相当古く、伝説的には平安中期、花山法皇の巡礼がその創始とされるが、史実として巡礼が成立したのは12世紀ごろではないかといわれているようである。
長谷寺を訪れ、またテレビでその姿を見て、その「三十三所」にまつわる少し苦い思い出がよみがえった。
以前、西国三十三所の一番札所に参ったことがきっかけで四国八十八カ所をめぐり、阪神大震災に遭って僧侶に転身したという元新聞記者の記事が出稿されたことがある。そこには西国「三十三カ所」とあり、読んでいた担当者から「三十三カ所ではなくて三十三所ではないのか」と相談を受けた。しかし、過去の記事を調べると「三十三カ所」も相当数紙面化している。むしろ「カ」がないほうが少ない。検索エンジンで調べても、三十三所が多いものの、「ケ所」「カ所」「箇所」も見られ、何をもって三十三所が正しいと言っていいかわからなかった。締め切り時間まで短い夕刊帯だったこともあり、三十三所でなくてはと言えるだけの確信が持てないまま、その日は終了し、「三十三カ所」で掲載された。
その後、自分なりに調べてみた。まず、何をもって「三十三所」が標準的な言い方と言えるかということだが、歴史の古い事柄なので、古くからそう呼び習わされているということがわかる資料がないかさがしてみる。江戸時代の「西国三十三所名所図会」「西国三十三所観音霊場記図会」などの表紙を見てみると、「三十三所」と書いてあった。また、「西国三十三所札所会」サイトはすべて三十三所で統一されている。さらに何冊もの辞書をひいたが、手元のものはすべて「三十三所」で掲載されていた。
やはり、三十三所にすべきだった。わたしが背中を押してあげれば、担当者は問い合わせに行くことができただろうに。過去の例に引きずられて勇気がもてなかったことが恥ずかしい。
入社して10年が過ぎ、相談を受ける立場となることが増えてきた。すぐに的確な返答ができるようにならなくてはと思う。次にお寺に参るときは、もっと成長した自分になれるように、もっと勇気を持ってものごとにあたれるように誓おう。そんなふうに思っている。
【水上由布】