「うがった見方」という言い回しの使い方について伺いました。
目次
「勘繰るような見方」が多数派
「うがった見方」という場合、どんな意味で使いますか? |
物事の裏面を勘繰るような見方 58.6% |
物事の本質を的確に捉えるような見方 28.3% |
上のいずれも含む 5.9% |
上のいずれとも違う意味で使う 7.1% |
やはり、と言うべきでしょうか。「物事の裏面を勘繰るような見方」が6割近くを占め多数派でした。多くの辞書が採録している「本質を的確に捉えるような見方」という意味で使う人は3割程度。以前の文化庁の調査でも似た傾向が示されており、用法の広がりがうかがえますが、使い方にはなお注意が必要と考えられます。
「本来の意味」とされるのは「本質を捉えた見方」
回答から見られる解説でも紹介しましたが、「うがった見方」という言い回しについては、2011年度の文化庁「国語に関する世論調査」でも取り上げられています。選択肢は「物事の本質を捉えた見方をする」と「疑って掛かるような見方をする」というもの。文化庁は前者を「本来の意味とされる」としましたが、こちらを選んだのは26.4%で、「本来の意味ではない方」の「疑って掛かるような見方」が48.2%と多数でした。今回の質問では「疑って~」ではなく「裏面を勘繰る」としましたが、同じような傾向が表れていると思います。
国語辞典では、明鏡国語辞典(2版)が「うがつ」の項目で次のように説明します
物事の真相や人情の機微をしっかりととらえる。「なかなか―・ったことを言う」「真理を―名言」[表現]プラス評価で使う。「あまりに―・った(=うがちすぎた)見方だ」などと、深読みして、ツボを外す意で使うのは誤り。
この説明に従うと、「勘繰る」の用法でも「ツボを外す」ものでなければ誤りとは言い切れないが、「プラス評価」で使う以上は、自分の考え方について「うがった見方」と言うのはおかしい、ということになります。広辞苑(7版)や新明解国語辞典(7版)など、引いてみた十数点の辞書の過半は、やはりプラス評価の説明のみを挙げています。
用法の広がりを認める辞書も
もっとも最近では国語辞典も、用法の広がりを認めつつあるのかもしれません。明鏡と並んでいわゆる「誤用」に厳しい傾向がある岩波国語辞典(8版)。語釈は「物事や人情の隠れた真の姿に、たくみに触れる」というものですが、用例で「―・ちすぎの見方」と、明鏡では誤りとされている表現を挙げています。
そのほかにも、意味の説明として「深読みする」(三省堂国語辞典7版)、「事の裏面の事情を詮索する」(大辞林4版)、「人の図星を指す。また、深読みをする」(三省堂現代新国語辞典6版)などの記述が見られ、一部の辞書ではアンケートの「勘繰る」に近い用法も認められています。
「細かな点を指摘すること」との説明も
辞書編集者の神永暁さんも「悩ましい国語辞典」(角川文ソフィア庫、2019年)において「この『うがつ』もまた、辞書編集者を悩ませることば」としています。「『うがつ』は穴を開けるというのが本来の意味であるが、それが転じて、人情の機微に巧みに触れる、物事の本質をうまく的確に言い表すという意味になったのである」と説明しつつ、「『うがった』ということば自体を知らない人が増えている」ため、文化庁の調査のように、「本来の意味」から外れた用法をとる人が多数になっているのではないかと推測しています。
もっとも「うがつ」についてはさらに「“穴を掘る”ことから、“こまごました、人の気づかない点を指摘する”ことを言うようになった」という見解もあります(柴田武「常識として知っておきたい日本語」幻冬舎、2002年)。辞書でも「細かな点をつついて臆測を加える」(現代国語例解辞典5版)、「隠れた事情や細かい事実、また世態や人情の機微を指摘する」(日本国語大辞典2版)といった、「細かいこと」を説明に取り上げているものもあり、今回のアンケートで「違う意味で使う」とした人は、このような解釈を踏まえてのことかもしれません。
自分の考えについて言うのは避けたい
アンケートの結果からは「勘繰る」意味で使う人が多数だった「うがった見方」ですが、実際の用法としてはどう使うのがよいでしょうか。個人的には「勘繰る」意味を排除すべきだとまでは思いませんが、自分の考え方について「うがった見方をすると……」といった形で使うのは避けた方がよいのではないかと考えます。「的確な捉え方」という意味を知っている人が見聞きした場合に、「誤用」と感じるか、ないしはさかしら立った印象を受けるということになりかねないためです。
ところで出題者が今回取り上げたような「うがつ」を初めて目にしたのは40年近く前、漫画の「パタリロ!」(まだ連載中!)においてだったと思います。主人公の少年国王パタリロが部下の言葉に対して「なかなかうがったことを言う」とちょっと感心してみせた場面だったと記憶しますが、本来はそのような使い方をする言葉のはず、と改めて思い起こされます。
作者の魔夜峰央さんは、最近では漫画「翔んで埼玉」に出てくるインパクトのあるセリフが話題になりましたが(作品自体はかなり前のものですが)、言葉に関する確かなセンスを持つ方であればこその表現力なのだろうと、今さらながら感じ入る次第です。
(2020年07月14日)
「うがった見方をすると、彼の本当の目的は別のところにあるのではないか」――こんな言い回しを時に見かけます。表向きの事情とは別の真相を探るような見方、というところか。謙虚なようでいて、ちょっと本人が自分の目の付けどころを誇るようなニュアンスも感じられる、なかなか微妙な言い回しです。
この「うがった見方」は2011年度の文化庁「国語に関する世論調査」でも取り上げられました。その時の選択肢は「物事の本質を捉えた見方をする」と「疑って掛かるような見方をする」というもの。文化庁は前者を「本来の意味とされる」としていますが、こちらを選んだのは26.4%。本来の意味から外れるとされる「疑ってかかるような見方」が48.2%で多数でした。
「うがつ」は「穿つ」と書き、端的には「穴を開ける」という意味。そこから、一面的な見方では気づきにくい、物事の真相や人情の機微に達するという意味を持つようになったものです。
辞書によってはこの言い回しを「プラス評価で使う」(明鏡国語辞典2版)としており、自分の考えについて「うがった見方をする」と言うのはおかしい、ということになります。ただし現在では、上で挙げたような使い方をむしろよく見かけます。皆さんはどうお使いでしょうか。
(2020年06月25日)