東京・竹橋の毎日ホールで2017年9月25日、毎日新聞校閲グループによる「校閲記者の目 あらゆるミスを見逃さないプロの技術」出版記念イベントが開かれ、約160人が来場した。イベントの模様とその後の懇親会について2回に分けて報告する。
編集を担当した毎日新聞出版の峯晴子さんを司会に岩佐義樹(1987年入社)、高木健一郎(90年入社)、平山泉(92年入社)、渡辺みなみ(2009年入社)、斎藤美紅(12年入社)の5校閲記者が登壇、前半は本制作にまつわる話、後半は若手中心に校閲の仕事について本音を語るという2部構成だった。
目次
やはり「校正おそるべし」
まずは峯さんから2刷りが出たことが報告された。来場の方に問いかけ、この本を既に読んで、第1章にある「校閲体験」に解説されていない「誤り」を見つけた方がいるか尋ねた。題字下の日付が「11月10(木)」と「日」が抜けていたのに、「解説」では触れていない点だ。「用意」した誤りではなかったこと、通常の紙面と異なる制作過程で生じ、「校閲」を頼んだ先輩も見逃したこと――などを説明し、平山は「改めて『校正おそるべし』を痛感している」と述べてわびた。会場の何人ものうなずく姿に救われる思いだった。
峯さんは2016年、ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」を見て、「毎日新聞の校閲の本をつくるべきだ」と直感的に思い立ったことを語った。
出版職場の経験がある高木は「直す前のさまざまなゲラを出している。正直言って、こんなに手の内をさらしていいのかという思いがあった。しかし、このおかげで単なる雑学本でない、面白いものになったと自賛している」と話した。
平山が「書くことが苦手だし嫌いだから校閲をやっているようなところもあるのに、本をこの形までもっていくのは私には無理。校閲のブログやツイッターをもとにしているとはいえ、編集者の方が構成して考えてくださったからできた本」と話したところ、峯さんは「校閲から次々に戻ってくる原稿を読むたびに、校閲記者の真剣な姿勢を感じた」などと思いを語った。
社内で信頼されるまで
職場自体について、岩佐は「私が入社したころは(本の帯に『誤字脱字だけじゃない!』とあるが)まさに誤字脱字を見つける職場だった。活字の『一』のひっくり返りを見つけるのがうまい先輩もいて。これは校閲の『校』の部分で、『閲』の部分もないわけではなかったのだが」、平山は「私が入ったころは転換期で、ワープロ原稿が主になり、原稿通りは当たり前なので事実関係などを調べることが中心になっていった。その後の積み重ねで今は社内で校閲が信頼されるようになり、仕事がやりやすくなった。しかし、だからこそ、根拠を持って出稿部に行かなければと思う」。
若手2人に尋ねると、特に出稿部に冷たくあしらわれるようなことはないという。岩佐が「この本に大阪本社の校閲記者の短歌をいくつか紹介しているが、『われはすなほに力を欲す誤りをつひに直さざりし記者を前に』という歌があって、ああ、まだこういう思いをすることもあるのかと……」と悔しそうに話した。
高木は他部署の経験も長く「校閲は独特の雰囲気がある。執念深い人が多くて、食らいついたら離さない」と話すと、登壇者の間で「それは特定の人?」とつっつき合った。
職人っぽい仕事
次に若手2人に大いに語ってもらう第2部。
「もともと取材記者を目指して就職活動をする中で、どうも自分のやりたいこととは違うと思い始めたときに校閲という仕事を知った。読みやすい紙面をつくるという形でかかわることや、縁の下の力持ちのような仕事の方が合っているのではないかと思って志望した」という斎藤。実際に仕事をしてみると「日本語に特化した仕事と思っていたが、調べものが8、9割だった。しかし、調べものは楽しくて、入ってよかったと思った」と振り返った。
渡辺はある小説を読んで校正を知ったと話し、ただし、主人公がアルコール依存症で、この小説で校閲にあこがれたというわけではないと説明して会場から笑いが起こった。地元の新聞社での補助員(学生の編集事務アルバイト)経験で、「整理(編集者)さんはいつも怒っているような方が多い一方、校閲の方はいつも静かに怒っている感じで、職人っぽいところにあこがれた」と話した。
失敗は役に立つ
2人とも、つらい失敗のことを思い出しながら話した。現在のシステムでは、一刻も早く原稿をニュースサイトに流すために、校閲作業をした後、校閲記者自ら画面で直しを入力してGOをかけることになっている。その入力の際に人名の誤りを「つくって」しまったことのある渡辺は、「そのときは(校閲記者として)終わったなと思った」という。会場は笑い、平山は「そんなこと思わなくていいのに」と驚く。渡辺は「けれど、日々山のようにある仕事をして経験を積み上げるうちに、ようやく5年目くらいになって仕事ができているという感じになった」と語った。
斎藤も党名の取り違えを見逃した経験をつらそうな表情で話す。しかし、そういった失敗が経験として必ず後で役に立つことも実感しているという。
失敗については、高木が「取材先やカメラマンなど多方面の調整をやっとのことで済ませても、急に一人が行けなくなっただけですべてがだめになるといったこともあり、休みの日も気が抜けない。校閲はそういうことがないところはいいが、一方で、山のようにある仕事をやっても一つ見逃しただけで0点となるつらさもある」と、対比させながら語った。
逆にうまくいったという経験はないか尋ねると「失敗ばかりで……」と自己評価の低い2人。そもそも校閲とは「何事もない当たり前の状態にすること」のみ成功で、失敗しか表に出ないという仕事だから仕方ないのだが。
斎藤は「スポーツ面を担当していると調べなければならないことが大量にあって、なんとか降版(制作を終わらせて印刷に回すこと)までに調べきれたというときは、達成感のようなものがある」といい、そのために「例えばラグビーの細かいポジションについてなど、自分でメモしてすぐ見られるようにしています」と、鉛筆書きでびっしり埋まったノートを見せた。
2人とも、日ごろ自分の面が慌ただしいときに近くの人が手伝って調べ物をしてくれたりするといった経験を語った。
【平山泉】
いただいた感想から
#校閲記者の目 トークイベントに参加して、一番印象に残っているのは冒頭の取締役挨拶。校閲は我が社の宝物、という言葉、仕事の社会的意義や会社にとっての貢献度を幹部が理解してくれているというのは、羨ましいと思った。自主的にクロスメディアで校閲の意義を周知している姿勢に刺激を受けた。
— 🍎 (@ringo52919ringo) September 27, 2017
「校閲記者の目 出版記念トークイベント」に参加してきました。普段はなかなか聞くことのできない校閲記者のお話が超新鮮。なかでも、「日本語に特化してると勘違いされがちだけど、仕事中は(データなど諸々)調べることのほうが多い」ことにびっくり。職人さんたち、めちゃかっこよかった。 pic.twitter.com/QyyfI7ij2y
— 幸谷亮@仙台⇆東京のライター (@writer_kouya) September 25, 2017