「首相( )5人が出席」というときに、「ら」を使うか「など」を使うか伺いました。
目次
「ら」を使う人が7割占める
「会議には、首相( )5人が出席した」。カッコ内に入れるなら? |
ら 69.5% |
など 12.2% |
どちらでもよい 10.8% |
どちらも違和感がある 7.5% |
「ら」が7割と圧倒的多数、「どちらでもよい」という人を含めれば8割を超えました。多くの辞書が書いているように、人名・職名の後ろにつけて複数を表す場合、基本的には「ら」が無難といえるでしょう。
客観的記述では、人には「ら」でOK
しかし回答時の解説で触れたように、「ら」には「謙譲または蔑視の気持ち」(明鏡国語辞典2版)が含まれるといいます。これは問題ないのでしょうか。
文化庁「言葉に関する問答集5」によると、この「ら」は「報道などで、事実を客観的に伝えるような場合には、その人の社会的地位・身分、また、目上・目下、親疎の関係等にこだわることなく使うことができる」。今回の例文のような客観的な文章では「ら」に感情は込められておらず、ただ複数を表すためにのみ使われるため、使っても失礼には当たらないというわけです。
「など」も人を含め幅広く使用可能
では「など」だとまずいのでしょうか。「問答集」によると、「など」は「複数を表す助詞として、いろいろの語につけることができ、広く一般に使われる」。その「いろいろ」の中に「人物」も含まれると書いてあります。新選国語辞典9版がまとめているように「複数の人・事がらをいう場合一般に『など』が使われる。『ら・たち』は人にのみ使う」という区分が妥当で、人名・職名だから「など」はつけられない、とはいえません。
ならば新聞・通信社の用語集で「人名・職名につけるのは『ら』で、『など』としない」などと決めているものがあるのはなぜか。一つには、事物につけることの多い「など」を人につけるのはぞんざいだと思われかねない、という意識があるのかもしれません。また三省堂現代新国語辞典6版では、「など」について「〔人を指す語につけて〕そのものを軽く見る気持ちをあらわす」として「おまえなどにできるものか」という例を挙げています。こうした用法があるため、軽んじている印象を与えないように「など」を避けているのかも、とも推測できそうです。
放送では話題に応じた使い分けも
対してアナウンサーの指針となる「放送で気になる言葉2011」(日本新聞協会)には興味深い指摘がありました。同書はまず「アナウンサーの世界では、人間には『ら』を使え、と教えられてきた」といいます。しかし続いて先ほどの「問答集」から「個人的に口頭などで伝える場合などでは(中略)『ら』は、軽侮・蔑視の意を含むことになる場合もある」という記述を引いて、「硬いニュースでは『○○幹事長ら』で構わないが、身近な話題ならば『たち』『など』を主流にしたほうがよい」と結論づけています。
つまるところ、「ら」「など」どちらを使うのも言葉としておかしくはありませんが、どちらも場合によっては見下したニュアンスが出てしまうということです。今回のアンケートの場合は硬い内容の書き言葉ですから、結果の通り「ら」が違和感を与えにくいということでしょう。実際には読み手・聞き手にどう受け取られるかを考えた上で、その場でふさわしいほうを選ぶ、もしくは別の表現を探るといった意外に高度な判断が要求されているのです。
(2019年09月03日)
最近、「ドイツ、フランスら欧州主要国」という原稿を、「ドイツ、フランスなど……」と直しました。他にも同類があることを意味する場合の「ら」は「人を表す名詞や代名詞などに付く」(大辞泉2版)のが基本です。対して「など」は、「本やノートなどを買う/雑誌などを読む/これなどは実におもしろい話だ」(新明解国語辞典7版)のように事物について使う例を多く見ます。
新聞・通信社の用語集でも、「人や職名などの下に付けて複数を示す場合は通常、接尾語の『ら』を使う。『など』とはしない」(時事通信社)などと定めているものが見つかります。
毎日新聞ではそうした規定はありません。過去の記事では「習近平国家主席や李克強首相など(中国の)国家指導者」といった書き方も見つかり、読んでみるとそれほど違和感は強くないような気もします。
また明鏡国語辞典2版によると、「ら」は「人を表す語に付く場合は謙譲または蔑視の気持ちを含み、本来目上の相手には使わない」。とすると「ら」を付けるなんて失礼だと感じる人もいるのかも。皆さんは意識して「ら」「など」を使い分けていらっしゃるでしょうか。
(2019年08月15日)