自民党総裁に選ばれた高市早苗さんは総裁選に立候補した際、奈良の鹿を蹴る外国人がいるとして外国人政策の厳格化を示唆しました。拝外的風潮が広まらないか心配です――ちょっと待った! その言葉を使うなら……。
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「拝外主義」が心配
自民党総裁に保守派で知られる高市早苗さんが当選しました。広がる拝外主義にますます気を付けることになりそうです。
お気づきでしょうか。この「拝外」は誤字ですね。これでは外国を「拝む」「崇拝する」ことになってしまいます。正しくは「排除」の「排」を使う「排外」です。
トランプ米大統領の登場前後、急激にこの誤字が増えました。最近はあまり見なくなったような気もしていましたが、日本人ファーストを唱える参政党の伸長と高市政権(?)の今後によってはまた「拝外」が世に出ないか心配です。
虎視眈々と鹿を逐う
排外といえば、自民党総裁選に立候補した際に高市早苗さんは「奈良の鹿」を話題にしました。「奈良の鹿を足で蹴り上げる、とんでもない人がいる。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるとすれば、何かが行き過ぎている」
私は一昨年、奈良公園に久しぶりに行き、鹿の多さは以前と同じですが、外国人の多さに隔世の思いを抱きました。鹿せんべいをもらった鹿が何度もおじぎする姿に外国人が歓声を上げていました。わずか1日ですが鹿に悪いことをする人なんて目にしませんでした。
高市さんの発言の後で鹿を蹴ったという話の根拠をめぐって議論になりましたが、ここでは真偽を問いません。仮にあったとしても一部ではないでしょうか。それを持ち出すことは外国人へのヘイト感情を抱く保守層を取り込む虎視眈々(たんたん)とした戦略で、それが当たったとみることができます。
高市さんは意識していたかどうか知りませんが、「鹿を逐(お)う」という慣用句があります。政権などを得るために争うことで「中原(ちゅうげん)に鹿を逐う」「逐鹿」ともいいます。鹿は古代中国の帝位のたとえです。
「鹿を逐う者は山を見ず」ということわざもあります。この場合は政権を争う意味からは離れるようですが、あることに熱中すると全体が見えなくなるというたとえです。高市さんには、一部の外国人を言挙げするあまり全体を見失わないでほしいと思います。
「奈良の鹿」外国人しかいじめない?
ところで、「奈良の女」を自称する高市さんならご存じだと思いますが、昔は奈良の鹿を「神鹿(しんろく)」としてあがめるあまり、鹿を殺した者は残酷な刑罰に処せられていたようです。
その一端を今に伝えるのが、興福寺の子院、菩提院です。その庭には、誤って鹿を死なせた罰で生き埋めにされたという13歳の少年を弔う供養塔があります。母親が次の世に生まれる時は亀のように長生きすることを祈って石亀がつくられたと伝わります。
まあそれは伝承ですので、事実かどうか分かりません。ただ鹿が子供の命より重んじられたという「行き過ぎた」風潮があったから伝わったのだろうとは思います。
そう遠くない過去には、こういう事件が連続しました。
2020年3月に春日大社境内で鹿をボーガンで撃って死なせたとして男女2人が逮捕されました。21年2月にも奈良公園の鹿を鋭利な刃物で殴って死なせたとして男が翌月逮捕されました。報道された名前はいずれも日本人のようです。
奈良の鹿ならでは?夢に出現
もちろん、この2例だけをもって日本人の方が残忍という気はさらさらありません。不届き者はどこにでもいるということです。
ただし、こんな逸話もあります。ボーガンの事件の女性は当初否認していたのですが「夢に鹿が出てきたので本当のことを話した」と裁判で供述しています。
奈良の鹿は神の使いなんて信じられなくても、こういうエピソードを聞くとちょっと鹿の神性というか、それを畏れ多いと思う日本人の心性を感じられるような気になりませんか。
そういうことを伝えることの方が、針小棒大に一部の外国人の非行を言い立て排外的風潮をあおるより、よほど日本を愛する気持ちを育てることになると思いますよ。
【岩佐義樹】