必ず達成すべき課題を示す表現「至上命題」「至上命令」について伺いました。
6割が「至上命題」 2割強は「どちらも変」
何としても達成しなければならない課題をどう表現しますか? |
至上命題 60.6% |
至上命令 17.3% |
上のどちらもおかしい 22.2% |
この二つの言葉は北原保雄編著「問題な日本語3」でも取り上げられています。解説を引くと「『至上命題』は、俗に、達成しなくてはならない最重要課題の意で使われるが、『命題』は、論理学で『AはBである』などの、真か偽かを判断することができる文のこと」。新聞各社の用語集でも、同様の理屈で「至上命題」を誤用としています。
このように俗用・誤用とされる「至上命題」を選んだ方が6割に上りましたが、著名人のコメントや新聞記者の書く原稿にも頻繁に現れる言葉なので、体感通りの数値ではあります。対して「至上命令」は使っているのを見ることも聞くことも少なく、選んだ方はやはり少数派で2割弱。また「至上命令」というからには命令者がいなくてはなりません。例えば「デフレ脱却が至上命令」という場合、政府が日銀に要求しているとか、主権者の国民が政治家に強く望んでいるなどという文脈ならば使えそうですが、当てはまらない場合も多そうです。その意味で、最重要課題のことを「至上命題」「至上命令」どちらで表現するのもおかしいと考えた2割強の方の感覚は理解できるものです。
ところでこの「至上命題」が誤用だ、という意識は比較的最近出てきたものかもしれません。日本新聞協会の新聞用語集では、2007年版の「誤りやすい慣用語句」の項目に現れ、その前の1996年版にはありません。毎日新聞用語集の「誤りやすい慣用語句」でも、02年版では触れられておらず07年版で登場しました。「問題な日本語3」も同じ07年の出版です。
毎日新聞(東京本社版)の記事データベースを「至上命題」で検索してみると、01~06年は毎年20~50件程度で推移し、ほぼ全て「必ず達成すべき課題」の意味で使われています。言い換えのルールが示される以前は、新聞でも問題なく通っていた表現だったのです。これが用語集に掲載された07年以降は毎年5件以下となっています。
「問題な日本語3」の北原氏が編者である「明鏡国語辞典」では、初版(02年)には言及がありませんでしたが、2版(10年)の「至上命令」の項に「達成しなくてはならない最重要課題の意で『至上命題』を使うのは、『至上命令』と混同したもの」との記述が増えました。しかし同時に「命題」の項には「課せられた問題。『人生をいかに生きるかという-』」と追記されました。「デフレ脱却」「金メダル獲得」という例とはやや異なり、「解かねばならない問題」というニュアンスが強いですが、「命題」の意味が拡張されてきていることは間違いありません。実際に最近の新聞紙面でも「人口減少と高齢化が進んでいく中で、どう社会的弱者や少数者を守っていけるかという命題」という使われ方をしていました。この文脈では「達成すべき課題」とほとんど変わらないでしょう。
「至上命題」がおかしいという論の根拠は、「命題」の意味は「課題」ではないから、というものでした。しかしこの前提も揺らぐ傾向にあるのが現状のようです。
(2018年11月09日)
「デフレ脱却という至上命題」「金メダル獲得が至上命題」など、政治家や評論家も「至上命題」を多用します。新聞原稿でもよく目にしますが、「本来『至上命題』という言葉はない」(日経新聞「用語の手引」)。
「命題」は元々論理学の用語で、「言語や式によって表した一つの判断の内容」(岩波国語辞典7版)。分かりづらいですが、例えば「日食は毎年起きるものだ」「コーヒーの木の原産国はブラジルだ」のように「〇〇は××だ」という形で叙述され、真偽が判定されうるもの(上の二つは順に真、偽ですね)。ですから「デフレ脱却」も「金メダル獲得」も命題とはいえず、命題に「至上」という形容は当てはまらないのです。俗用に寛容な三省堂国語辞典(7版)も、課題という意味で使うのは誤りとしています。
そこで毎日新聞用語集の提示する言い換えの一つが「至上命令」。1文字変えるだけで済むので使いたくなるものの、意味は「絶対に服従すべき命令」(広辞苑7版)。何としても達成しなければいけないという意味では似通いますが、筆者の意図するところとずれることもありそうです。もう一つの言い換え例である「最重要課題」とするのがよい場合も多いでしょう。「至上命題」はよく見かけるので多く選ばれそうですが、「至上命題」「至上命令」どちらもしっくりこないという方も一定数いるのではと予想します。
(2018年10月22日)