あれは早朝だったように思う。ラジオからニュースのような、野球の実況放送のような――そんな音がする。おぼろげな記憶。自分が5歳だという意識はあっても、西暦の1960年であるという受け止め方はしていない。ただ、後々まで残る「聞いた覚え」はアベベという何を意味するのかも分からない、三つの「音」だった。
それが、アベベという名の、アフリカにあるエチオピアという国の、マラソンの選手と知るのは、もう少し後のことだ。ローマ・オリンピックのマラソン優勝者だということを認識した時には、アベベの名前には、ほとんど姓名の一部であるかのように「裸足の」という形容が付いていた。日本の子どもでさえ裸足で表を走り回ることが少なくなりつつあった時代、裸足でスポーツと聞けば相撲以外に思い付くものはない。
アフリカの人はみんな裸足、という子どもじみた無知に基づく偏見があったかもしれない。アフリカの選手は皆、裸足で走り、その中でも靴を履いた選手をかき分けて1位になったアベベには裸足という「あだ名」がついた――そんなストーリーを私はつくりあげてしまっていた。
本当はアベベが裸足で走るのについてはアベベ自身のアクシデントがあったという。他の選手たちと同じように履きなれたマラソンシューズがローマ大会の直前に破れてしまって、代わりになる靴が見つからなかった。そうした時にやむなく裸足で42.195キロ走り抜けオリンピックで優勝した――その中で、裸足で走ったことだけがクローズアップされたのが「裸足のアベベ」命名のきっかけなのだろう。そもそもアベベは少年時代から裸足で走るのが当たり前だったのだ。
さて64年東京オリンピックが開かれると、もう私の頭は「裸足のアベベ」 への期待が日に日に高まっていった。出走直前、テレビ中継のアナウンサーが「アベベは靴を履いています」と紹介したように聞こえた。私も少々ガッカリしたが、このアナウンサーの落胆に比べればかなり軽かったと思う。
結果としてアベベは2大会連続、裸足で1勝、シューズで1勝した。この時、アベベ32歳。大人向けには、競技中の表情から「走る哲学者」という形容もあった彼は、68年メキシコでは途中棄権、その半年後に交通事故で半身不随となる。だがリハビリの結果パラリンピックの前身となる競技会に参加するなど、文字通り「不屈の闘い」を続けるが、東京オリンピックから9年後の73年、41歳で病死する。かつて応援の声を送った私と同世代の子どもたちは果たして裸足のアベベの最期を知ったのだろうか。
【岸田真人】