「研ぎ澄ませる」という言い回しを使うかについて伺いました。
「研ぎ澄ます」が「研ぎ澄ませる」の倍
見逃すまい、聞き逃すまいと感覚を鋭敏に……何と言いますか? |
研ぎ澄ます 54.3% |
研ぎ澄ませる 27.2% |
どちらも言う 18.5% |
「研ぎ澄ます」が「研ぎ澄ませる」に対し2倍で、過半数を占めました。しかし、「どちらも言う」を含めれば「研ぎ澄ませる」を使う人も45%を超えており、一定の浸透をうかがわせます。
「研ぎ澄ませる」で項目を立てている辞書はありませんでしたが、新しい用法を取り入れるのに積極的な三省堂国語辞典の最新版(7版、2014年)は「研ぎ澄ます」の項目で「▽研ぎ澄ませる」と注記し、この語形も使われることを示しています。また、新明解国語辞典7版(2011年)は「澄ます」の項目でいくつか用法を挙げた上で、その全てについて「『澄ませる』とも」と注記しています。用例には「研ぎ―」というものもありますから、「研ぎ澄ませる」も許容されます。
上記のことはもちろん、多くの辞書を見た上で「研ぎ澄ませる」を載せているものはこの2点だけだったということですから、大勢は「研ぎ澄ます」であると言えます。しかし、それでも現に「研ぎ澄ませる」は使われており、それはどうしてかを考えると難しい。文法に関する話は校閲記者も得意とは限らないのです。
回答からの解説では、「研ぎ澄ます」は「研ぐ」+「澄ます」の複合動詞で、うち「澄ます」が「澄ませる」(「澄む」+助動詞「せる」)と同様に考えられているのかもしれない――と書きました。ツイッターでは、「せる」について使役の助動詞と考えると不自然だが、「目を輝かせる」のように他動詞的な表現を作るものと考えればおかしくないようだ、とのコメントをいただきました。
ただし、「澄む」「澄ませる」の関係では、「水が澄む」に対応させて「水を澄ませる」と言うことはできそうですが、「耳を澄ませる」に対して「耳が澄む」と言うことはなさそうで、自動詞と他動詞の関係とはっきり言うことは難しいようです。
森田良行氏の「助詞・助動詞の辞典」(東京堂出版)には、「~す」「~せる」両様の形を取る動詞について記述があります。例えば「驚く」に助動詞が付いたように見える「驚かせる」は「語史的にはもともとあった五段活用の他動詞『驚かす』に引かれて後に生まれたものである。『せる』があっても使役形とは言い難い」といいます。同様のものとして「悩ます―悩ませる」「走らす―走らせる」などとともに、「澄ます―澄ませる」も挙げられています。「澄ませる」はやはり、「澄ます」から助動詞「せる」との混同で生まれた派生形であり、「研ぎ澄ませる」も同様に考えるのが良さそうです。
一方、この「助詞・助動詞の辞典」には「~せる」が元の形なのに「~す」という形が新たに生まれてしまった動詞も挙げています。「言わせる―言わす」「食わせる―食わす」などで、こうなると何を本来の形と言っていいのか、だいぶ混乱してしまいます。
アンケートの結果で「研ぎ澄ます」を選んだ方が多数だったのは、協力してくださった皆さんの言葉遣いの確かさを示すものだと思います。一方で、4割以上が「研ぎ澄ませる」を使うとしたことも、現状の混乱を反映したものであって、自然なことと言えるのではないでしょうか。校閲記者としてはどうするか?と問われれば、現時点では「研ぎ澄ます」推しになります。しかし「食わせる―食わす」のように元の形と派生形がともに定着する可能性もあり、様子を見ながら使っていく、ということになりそうです。
(2018年09月25日)
辞書に掲載されている形は「研ぎ澄ます」ですが、「研ぎ澄ませる」も無視できないほどに現れます。
毎日新聞でも、例えばプロ野球の記事で「集中力を研ぎ澄ませ、狙い球を完璧にとらえた」のように使われています。辞書に載っている「研ぎ澄ます」であれば、ここは連用形の「研ぎ澄まし」となるはず。「研ぎ澄ませて」「研ぎ澄ませた」のような語形も多く見かけますが、これらも「研ぎ澄まして」「研ぎ澄ました」となるところでしょう。
「研ぎ澄ます」は「研ぐ」+「澄ます」の複合動詞です。うち「澄ます」が「澄ませる」(「澄む」+助動詞「せる」)と同様に考えられているのかもしれません。最近では「耳を澄ませて」のような形もよく見かけますが、「澄ます」と「澄ませる」が入れ替え可能だと考えるようになっているなら、「研ぎ澄ませる」という形が使われるのも不思議ではありません。
社内でも「研ぎ澄ませる」は誤りでは?と聞かれたことがあり、その時は辞書の記述から「研ぎ澄ます」が無難です、と答えたのでしたが、皆さんの使い方はどうでしょうか。
(2018年09月06日)