人前とそうでない時で態度に差がある人をどう表すかについてうかがいました。
目次
「裏表」が3分の2占める
あの人は「○○」のない性格で信用できる――何が入りますか? |
表裏 20.4% |
裏表 67.3% |
どちらでもよい 12.3% |
「裏表」を選んだ人が3分の2に上り、やはりこの形がよく使われることが裏付けられたと思います。もっとも「表裏」も、「ひょうり」「おもてうら」の二つの読み方で多くの辞書に記載された表記です。「どちらでもよい」を含めると、3分の1の人がこちらを使うとしています。
日葡辞書には両方の記載あり
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場したある選手を紹介する原稿で「○○選手の表裏のない真っすぐな人柄は……」というくだりを目にしました。そうか、いい人なんだな、と思うと同時に「この『表裏』は、『裏表』が普通かなあ」と感じました。
日本国語大辞典(日国)2版は「うらおもて」の項目で「表面にあらわれたものと内面にかくされたものとが食い違うこと。かげひなた。うらはら」と説明し、「十訓抄」(13世紀)の用例から掲載しています。しかし、一方で「おもてうら」の項目もあり「表面の態度と内心。転じて、言動と心とが一致しないこと。心にもないことをすること。うらおもて。ひょうり」として、16世紀からの用例が載っています。
面白いのは、日本語をポルトガル語で説明した「日葡(にっぽ)辞書」(1603~04年)からの用例が「うらおもて」と「おもてうら」の両方にあること。それぞれ「Vra vomoteno (ウラヲモテノ) ナイヒト」「Vomote vrano (ヲモテウラノ) アルヒト。すなわち、ヒョウリナヒト」と記載されています。あえて両方を記載しているのは、ポルトガルからの宣教師も、人々の表裏/裏表に戸惑ったせいでしょうか。
説明中の「ヒョウリナヒト」という言葉からは、戦国武将の真田昌幸が豊臣秀吉から「表裏比興(ひきょう)の者」と評されたという話を思い出します。容易に真意を悟らせない抜け目のない人だったということでしょう。現在では「信用ならない人」というニュアンスが濃厚な「表裏/裏表のある人」ですが、戦乱の時代には単純に否定すべきことでもなかったのかもしれません。
それでも「裏表」が使われるのは
日国の記述からは、「表裏」でも「裏表」でもどちらでもよいような印象を受けます。一方でアンケートの結果からはもっぱら「裏表」が使われることがうかがえます。どうしてでしょうか。
校閲センターのツイッターには
この表現、「うら」を強調したい気持ちがありますよね。だから「うら」を先に言うのでは。つまり「裏」を「表」にして見せたくなる、それで「うらおもて」
というコメントが寄せられました。出題者の感想もほぼ同じです。裏と表の組み合わせで態度の変わる様子をうかがわせる言葉ではありますが、表は見ての通りなので、まず言及したいのは「裏」のはず。あえて「ひょうり」と言いたいのでない限りは、「裏表」を選ぶのが自然ではないかと考えます。
おすすめは「裏表」ですが
さてしかし、「表裏」を使ってもまったく間違いではなさそうだということもはっきりしたように思います。とはいえ実際に使われるのは「裏表」が多い。こうした表現を記事中に見た場合にどうするか……直すまでのことはなかったかなあ、と今さら悩みが深くなった感はあります。校閲にできるのは「よく使われるのはこちらですが」と提示することまでであったろうかと思います。
(2023年05月04日)
原稿で「表裏のない性格」というくだりを目にし、「これは『裏表』と書くべきでは」と感じました。国語辞典は「うらおもて」の項目で「表向きと内実。見せかけと実際とが一致しないこと」(岩波国語辞典8版)と説明します。「おもてうら」の項目は、岩波にはありません。▲一方、表裏を「ひょうり」と読むならば、これは見出し語として記載があります。説明にも「表と裏が相違するさま(であること)」(同)とあり、「うらおもて」と同様です。もっとも「ひょうりのない性格だ」のような言い方が口語的かというと疑問もあり、この場合は「裏表」と直しました。▲更にしかし、他の辞書には「おもてうら」の項目を立てて「表面に表れる態度と心のうち。うらおもて」(明鏡国語辞典3版)と、「うらおもて」と同様に説明するものもあります。余計なことをしたかなあ、でもやっぱりなあ、と揺れる気持ちがあり、こちらで伺ってみることにしました。皆さんはどう使うでしょうか。
(2023年04月17日)