校閲の仕事を始めて1年がたちました。右も左もわからないままに見よう見まねで目の前のことに取り組むうちに、いつの間にか季節が一巡りしていました。いまだに無知や不勉強、不器用さがたたって失敗することがあまりに多く、1年たってみても何一つ成長したと思えないのがつらいです。
成長でなくともこの1年でわたしに変化があったとすれば、以前よりも疑い深く、自信がなくなったことでしょう。何も人間性がますます後ろ向きになったといいたいわけではなく、どんな記事にも、とんでもない見落としや勘違いの発生する可能性を想定して仕事にあたるのが校閲だと学んだからです。使われている字体を疑い、数字を疑い、助詞を疑い、事実関係を疑い、ありふれた慣用句の使い方を一旦立ち止まって疑い……どんなに気を配っているつもりでも、見逃すときは見逃します。
中東和平交渉の記事で「聖地エルサレム」とすべきところを「聖地イスラエル」と誤って書かれていた原稿を、何の疑問も持たずに通してしまったことがありました。こうなるともう、読んでいる自分の目すら信じられません。表面的に字面だけを追って、内容を理解していないのではないかと恐ろしくなります。油断、慢心、誤解、思い込み、ふとしたことのすべてが悲劇を呼ぶのです。
また別の記事ではこんなことも。震災のときに長男を小学校に捜しに行った母親が、見つけた長男とそのまま体育館の2階に避難する、という場面。長男を「発見したのもつかの間(避難した)」と書かれていたのを「発見して間もなく」と直しました。「つかの間」という言葉は一般的に、たとえば「彼を発見したのもつかの間、再び見失った」などというように、この語を挟んで前の文章の内容が打ち消されるようなニュアンスを含むそうです。この記事では息子を発見して一緒に逃げており、単なる接続としては不適切ではないかと、先輩校閲記者から鋭い指摘を受けたのでした。わたしが初校で何のひっかかりも覚えなかった言い回しを、しっくりこないと感じるひとがいることに目の覚めるような思いがし、言葉に対する自分の鈍感さを知ってひどく反省しました。
一つの単語のニュアンスさえ容易には共有されない現実に、自分の言語感覚がいかに信用ならないものであったかを痛感します。夢にまでみた「正しく美しい言葉」などというものが、純然たる、不可侵の姿でどこかに存在するはずもなかった。むしろ激しく移り変わる言葉の渦のなかで、葛藤しながらその場その場の「最良」を選び取ってゆくという作業を通してのみ、言葉に対する信頼は少しずつ形づくられるのでしょう。ああ、想像しただけで気が遠くなりそうでめまいが。たいせつなのはだから、見えない正しさにこだわるよりも、読むひとの立場になって誠実な表現をめざすことなのではないかしら、とおこがましくもこの1年で考えていました。
信じてきたはずの言葉がぐらっとその足場を失うような体験を何度も繰り返しながら、それでも言葉に携われることをうれしく思っています。大勢の読者のなかの最初の一人として、謙虚な気持ちで朱を入れてゆきたいと、校閲2年目を迎えて決意を新たにしています。
【塩川まりこ】