読めますか? テーマは〈畳語〉です。
目次
茫々
ぼうぼう
(正解率 70%)果てしなく広々としているさま。また、ぼんやりしてはっきりしないさま。昔のことをいうとき「往事茫々」という語があるが、白居易の詩に基づく「往事渺茫(びょうぼう)」の変形らしく、載せている辞書は三省堂国語辞典などわずかだ。
(2015年04月13日)
選択肢と回答割合
びょうびょう | 19% |
ぼうぼう | 70% |
もうもう | 10% |
杳々
ようよう
(正解率 67%)暗いさま、はるかなさま。「杳として知れない」の杳だ。空海の「秘蔵宝鑰(ほうやく)」の序詩に「杳々たり杳々たり甚だ杳々たり 道をいい道をいうに百種の道あり」とある。
(2015年04月14日)
選択肢と回答割合
きょうきょう | 23% |
こうこう | 10% |
ようよう | 67% |
軽々に
けいけいに
(正解率 74%)古い用例では「きょうきょうに」とも読む。「かるがるしく」と同義だが、語感はより重々しい。主に文章で使うが、談話でも政治家などが「軽々に扱うべきでない」などと言う。
(2015年04月15日)
選択肢と回答割合
かるがるに | 15% |
きんきんに | 11% |
けいけいに | 74% |
赫々
かっかく
(正解率 45%)「かくかく」とも。赤々と輝くさま。また、功績が著しいさま。第二次世界大戦中、新聞は大本営発表に唯々諾々と従い日本軍の「赫々たる戦果」という虚報を続けた。
(2015年04月16日)
選択肢と回答割合
かっかく | 45% |
しゃくしゃく | 47% |
せきせき | 9% |
蕭々
しょうしょう
(正解率 44%)静かな音により感じる寂しさ。「史記」で始皇帝への刺客が「風蕭々として」とうたう。なお「粛々」も昔の中国では風音などを表す用法があった。基地移設を「粛々と進める」の語は「雑音に耳を貸すことなく」との意味だ、沖縄の声は雑音なのか――と批判され、安倍晋三首相は「粛々」の使用を自粛することにした。
(2015年04月17日)
選択肢と回答割合
しゅうしゅう | 11% |
しゅくしゅく | 45% |
しょうしょう | 44% |
◇結果とテーマの解説
(2015年04月26日)
この週は「畳語」。これらの語は普通後の方は「々」と表記します。しかし辞書では「々」は用いず「茫茫」などと文字通り重ねるのが多いようです。「々」は漢字ではなく記号だからでしょうか。
このテーマにしたのは、菅義偉官房長官と翁長雄志沖縄県知事の会談で「粛々」が話題になったことがきっかけです。「粛々」では簡単すぎると思い、フェイントのつもりで「蕭々」で出題しました。そのせいか「しゅくしゅく」を選んだ人が多く、今回最も正解率が低くなりました。ちなみに毎日新聞でもかつて、ある俳句で「蕭」を「粛」と書き違ったものを危うく載せかかったことがありました。
それはともかく「上から目線」という批判を受け、官房長官や首相は「粛々」の語を自粛することを表明しました。もちろん言葉を言い換えれば済むという問題ではありません。しかし、仲間内で当たり前に通用している言葉が外に向けて使われるとどういう印象を与えるかという実例を提供してもらいました。
「軽々に」は今回最も正解率が高くなったとはいえ、4人に1人が読めていないわけですから、ある立場や仕事のみでしか通用しない言葉かもしれません。一般には「軽々」といえば「かるがる」ですよね。「と」が付くと「かるがると」で、「に」に続くと「けいけいに」と読むのだと説明しても、素朴に「なぜ?」と聞かれると説明に窮するのではないでしょうか。音読みの方が重々しいからだといっても、それで一般的な使用と離れてしまっては言葉のコミュニケーションとしての機能が失われてしまいます。
「赫々」の出題時、第二次世界大戦時に「赫々たる戦果」などの文言で新聞は虚報を続けたと書きました。新聞社の末席として「反省」を述べたつもりですが、和語よりは漢語を使いたがる風潮は今もあるのではないでしょうか。たとえば選挙の日に「選挙とは関係ない面の担当は粛々と」という意味の上司の訓示を聞いたことがあります。「周りに惑わされることなく平常心で仕事せよ」といえば済むのに、政府・官界の「粛々」使用に影響されているのかもしれません。なお夏目漱石の「野分」に「秋の日は赫(かっ)として」という用例があります。これは漢語を用いつつ「あかあか」という和語をも意識させ、漢字の「重力」から自由になった日本語の柔軟さを表す例といえるのではないでしょうか。
「茫々」に関しては、最近の毎日新聞のコラムで「往時茫々」の表記が問題になりました。よく使われる語のような気がしますが、これを載せる国語辞典は、少なくとも四字熟語の形では見当たりません。探せた範囲では、三省堂国語辞典の「往事」の用例として「往事茫々」が載っている程度。「時」を用いた「往時茫々」は複数の四字熟語辞典にも見つかりませんでした。しかし、毎日新聞のデータベースでは無視できないほどの使用例があります。なぜこんなことに? この疑問の答えになるかどうか、広辞苑の「茫々」には「茫々たる往時」という用例があります。そして角川現代漢字語辞典では「往事茫々」と「茫々たる往時」をともに載せています。恐らく「おうじぼうぼう」は昔からある四字熟語ではないので、絶対に正しい表記として国語辞典には載せにくいのでしょう。だから揺れがあるのですが、白居易の詩を基にしたと思われる「往事渺茫(びょうぼう)」という四字熟語が昔からあるので、それのバリエーションとしては「往事茫々」の方がしっくりくる。しかし「茫々たる往時」となると元の四字熟語の「重力」から解き放たれ、「時」の側面が強調される「往時」が好まれる――ということではないでしょうか。
「杳々」はちくま学芸文庫「空海コレクション1」の冒頭に載っている詩を紹介したくて取り上げました。
悠悠たり悠悠たり太(はなは)だ悠悠たり
内外(ないげ)の縑緗(けんしょう) 千古の軸あり
杳杳たり杳杳たり 甚だ杳杳たり
道をいい道をいうに百種の道あり
(中略)
生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し
普通、畳語というのは1回繰り返すだけですが、この詩での繰り返しの迫力たるやいかがでしょう。空海の文章家としての天才が爆発していると思います。
今年は高野山開創1200年ということで、改めて弘法大師空海が注目されています。この漢字クイズでも折に触れて空海の言葉を紹介したいと思っています。