読めますか? テーマは〈船〉です。
目次
総帆展帆
そうはんてんぱん
(正解率 74%)帆船の全ての帆を広げること。海の日は、明治天皇が東北などの旅から船で7月20日に横浜に帰着したことに由来する。現在は7月第3月曜日で、今年はたまたま20日だった。横浜の「日本丸」では海の日などに定期的に総帆展帆がある。次は8月2日。
(2015年07月21日)
選択肢と回答割合
そうはんてんぱん | 74% |
そうほてんぽ | 21% |
そうぼんてんぼん | 5% |
面舵
おもかじ
(正解率 96%)船首を右に向けること。逆は「取り舵」。「おも」は「日本語源広辞典」(増井金典著、ミネルヴァ書房)によると「主な方向」のことというが、異説もありはっきりしない。日本という船は針路を大きく右に向けたようだが、ずっと右へ回頭し続けると元きた道に戻るかも。
(2015年07月22日)
選択肢と回答割合
おもかじ | 96% |
おもてかじ | 2% |
めんだ | 2% |
舷々相摩す
げんげんあいます
(正解率 80%)船べり同士が触れ合うことから、激しい海戦を表す。司馬遼太郎「坂の上の雲」の主人公の一人である日露戦争時の参謀、秋山真之(さねゆき)の造語という。
(2015年07月23日)
選択肢と回答割合
げんげんあいます | 80% |
げんげんしょうます | 7% |
げんげんそうます | 14% |
船渠
せんきょ
(正解率 84%)船の建造や修理のための設備。ドックのこと。三菱重工業長崎造船所の「第三船渠」はこのたび世界文化遺産になった「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ。
(2015年07月24日)
選択肢と回答割合
せんきょ | 84% |
せんしょう | 8% |
せんぼく | 8% |
◇結果とテーマの解説
(2015年08月02日)
この週は「海の日」にちなんで「船」がテーマでした。
ご存じのように、今年こそ海の日は偶然、始まった時と同じく7月20日となりましたが、ハッピーマンデーで7月第3月曜日と今は決まっていますので、日付は毎年のように変わります。これを本来の7月20日に固定させようという動きが自民党の一部から出ているそうです。何でも、明治天皇が明治丸での視察の旅から帰った日付の意味が忘れられているとか。しかし、横浜に帰着した日付と言われても、それが一般市民にとってどれだけの意味があるのやら。大方の人にとっては3連休の方がありがたいに決まっています。ちなみに、海の日の元の「海の記念日」が制定されたのは1941年、つまり太平洋戦争の始まった年です。その因縁でも抵抗あるのでは?
ともあれ明治丸は今年、保存修理工事を終え、東京都江東区越中島の東京海洋大学でよみがえった姿を見せています。海の日に一般公開されたので見に行くと、信号旗が掲げられていましたが帆は張っていませんでした。そもそも船種は「補助帆付き汽船」であり、これを帆船というのは、間違いではないかもしれませんが、無理があります。今回の「総帆展帆」の解説では初め「帆船」と書いていましたが、同僚の指摘を受け単に「船」としました。
その「総帆展帆」が今回の正解率最低でしたが、それでも正解率74%ですから全体的に易しかった週でした。下の写真は横浜の日本丸の総帆展帆です。
by ひでわく |
「船渠」は今、ドックというカタカナが主流。先日、世界文化遺産に登録された「三菱重工業長崎造船所第三船渠」は久々にこの漢字を新聞に登場させることになりました。
今回最も正解率が良かったように「面舵」は知られているようです。しかしその語源については今のところはっきりしません。「坂の上の雲」では日本海海戦の「有名な敵前回頭」の場面で
取舵とは面舵(右舷)に対することばで、日本古来の水軍用語である。
とあるだけで、あの説明好きな司馬遼太郎もこの用語に関しては追求していません。十返舎一九の「万祥廻船往来」では「面」ではなく「表」の字が使われ、「面」というのは当て字だろうと推察されます。
「舷々相摩す」は解説に記したように「坂の上の雲」で主人公の一人、秋山真之の造語として出てきます。ところで毎日新聞では一部で「全舷」という旧海軍の言葉がいまだに生きているのですが、他社でも使うところがあるそうです。もっともここ10年くらい、毎日新聞東京本社の校閲職場では慰安旅行をしなくなり「全舷」という言葉も新入社員は当然知りませんでした。が、「大辞泉」にあったのでちょっと驚きました。
新聞社の記者などが、部署単位で慰安旅行に行くこと。新聞業界用語。
[補説]旧海軍の用語で、船員の半数が寄港地に上陸して休暇を取り、半数が艦に残ることを「半舷(上陸)」と呼んだことから転じた。新聞休刊日の前日など、多くの記者が休める日に行われることが多い。
「半舷」は「坂の上の雲」にも出てきます。ラスト近く、連合艦隊の旗艦が原因不明(事故とされる)の「自爆」をしたときの場面。
死者は、三百三十九人であった。
他の半数は半舷上陸していたために危難をまぬがれた。
日本海海戦で大勝利した艦がその直後、このような悲劇に見舞われたことは、「勝った勝った」で終わらない余韻を残します。ドイツ映画「U・ボート」のラストと似たようなものを感じます。いつまでも平和な海であってほしいと祈らずにはいられません。