「今年度」と「本年度」とで使い方の差を意識しているかについて伺いました。
目次
「今年度」が優勢
政府は新制度を「○年度」中に整備するという――カギの中に入れるとすれば? |
今年度 45.4% |
本年度 19.4% |
上の二つは同じ意味で、どちらでもよい 25.5% |
上の二つは意味合いが異なるが、この場合はどちらでもよい 9.8% |
政府は新制度を「○年度」中に整備するという――少し堅い感じのする、新聞ではよく見かけるフレーズですが、カギの中は「今年度」がなじむと考える人が最多でした。もっとも数は半数には届かず、「本年度」とした人が2割程度、「どちらでもよい」を選んだ人が3分の1程度と、バラつきのある結果になりました。
指し示す対象は同じだが…
回答から見られる解説でも触れましたが、「今年」と「本年」はいずれも、その言葉が使われた時点を含む年を指します。これは「年」が「年度」であっても同様です。つまり、指し示す対象が同一であるという意味では、「同じ意味」であると言って差し支えない面もあります。ただし、指し示す対象が同一であっても、たとえば「私」と「俺」では伝える印象が違ってくるように、同じ意味を伝えるわけではない場合もあります。
小学館「類語例解辞典」は「今年(こんねん)」「本年」について、ともに「改まった言い方で、挨拶などによく使われる」といいますが、これは「今年(ことし)」と比べての話で、「今」と「本」を使うことの間で違いがあるかには触れていません。他の類語辞典を見ても同様で、違いがあるとしても簡潔に説明できるものではないということを示しているようです。
「本」の持つ「自分の側」というニュアンス
接頭語的に使う連体詞としての「今(こん)」は「いま。このたび」(広辞苑7版)という意味でのみ説明する辞書が多いようです。一方で「本」は、同じような使い方をする場合でも「今問題にしているそのものの意。自分の側に属している意に用いることが多い」(同)のように、もう少し説明が丁寧にされています。
「本」の説明は他の辞書でも「(前略)(七)今、問題にしている、この。当。『本件・本人・本書』(八)話し手・書き手自身に関することを表わす。私(の)。『本官・本校』」(新明解国語辞典8版)、「この。今問題にしているそのもの。自分自身。『本人・本官・本校・本件・本事件・本大臣』」(岩波国語辞典8版)などのように、「今」と「自分の」という意味で使われることがあると説明されます。
例えば出題者なら「本年度」と「今年度」に使い分けをどう意識するか。一人称で「私としては、本年度もこのアンケートを継続していきたいと考えている」と書くことはできますが、これを三人称の視点から「出題者は本年度もアンケートを継続していく意向を示した」とは書きにくく感じます。「本年度」と言った場合には、言葉を使う人からみた現在時点を取り上げている印象が強いからだろうと考えます。もちろん三人称で書くとしても「本年度=2022年度」であることに変わりはないのですが、当事者ではない視点から見た場合には「今年度」の方が、中立的で使いやすい印象を持ちます。
違いは意識されている
アンケートの結果で、「今年度」と「本年度」は指し示す対象が同じであるにもかかわらず、「どちらでもよい」という人が3分の1程度にとどまったというのは、少なくとも何らかの違いが意識されていることを示すものでしょう。「今年度」が優勢だったということは、その理由までははっきりしないものの、出題者のような考え方からすると心強い結果となりました。
(2022年05月26日)
政府の方針を伝える記事で質問文のようなくだりに「本年度」とあるのを見て、ここは「今年度」の方がよいのではないかと感じました。しかし改めて見直すと、「本年度」でも「今年度」でも意味は変わらないようにも思えます。▲「本年」は「ことし。こんねん。当年」(広辞苑7版)と説明され、この伝でいけば「本年度」も「今年度」と変わらないと言えそうです。しかし、接頭語としての「本」は「今問題にしているそのものの意。自分の側に属している意に用いることが多い」(同)とも説明されます。国の政策について報道が「本年度」を使うのに引っかかったのは、国側の視点でものを見ている印象を受けたせいかもしれません。▲実際のところ、過去の記事においても「本年度」は頻出しているのが確認されたため、この「引っかかり」について特に対応を取ることはありませんでした。しかし、一般にどう感じられるのかは伺ってみたいと思い、この場を借りて質問することにいたしました。いかがでしょうか。
(2022年05月09日)