「端的に言えば」という意味で「言うならば」「言うなれば」どちらを使うか伺いました。
目次
「言うなれば」が大半占める
登山とは「○○」自分への挑戦だ――カギの中に入れるとしたら? |
言うならば 12.1% |
言うなれば 79.5% |
上のどちらでもよい 8.4% |
思ったよりも大差がつき、「言うなれば」派が圧倒的でした。確立した言い方はこちらだと言ってよいでしょう。
しかし古典文法では「未然形+ば」の形が仮定条件を表す、と習いました。そうだとすると已然(いぜん)形の「なれば」ではなく未然形の「ならば」が本来の形では?――この疑問は、「言うなれば」という言い回しが使われるようになった時代を考えれば解決できそうです。
「たとえて言うなれば」の略
三省堂国語辞典8版によると「戦前に『たとえて言うなれば』などの言い方があり、戦後に略された」そうです。日本国語大辞典2版によると、1950年代初めに連載された源氏鶏太のサラリーマン小説「三等重役」で使われて流行したのだとか。「なり」という古語を含んではいますが、大昔からあったフレーズというわけではなさそうです。
では、そのころの「言うなれば」の文法的な位置づけはどうでしょう。
たとえば順接仮定条件の場合、古代語で「未然形+バ」の形で表されていた「花咲かば」のような表現が、近代語において消滅し、もともと確定条件の表現形式であった「花咲けば」のような形が仮定条件を表すに至る。
(小林賢次「日本語条件表現史の研究」)
近代語では、(現代の「仮定形」につながる)已然形の活用に「ば」をつけて仮定条件を表していたのです。「もし言うとすれば」という意味で「言うなれば」と言ってもおかしくありません。
岩波国語辞典8版によると、口語の「なら」は「なれば→なりゃ→なら」という経過で出て来た言葉です。そのため「言うなれば」が口語的に「言うなら(ば)」と変化したのかもしれません。また古代語の「ならば」の形も(「ならばその目でしかと見よ!」などと)使われ続けてきたので、その意識から「言うならば」を選んだ人もいるでしょう。
いずれは「言うならば」に交代も?
ところで、毎日新聞(東京本社版、地域面を除く)のデータベースを「て言うなら」で検索してみると、1990年以降の記事が254件見つかりました。「例えて言うならば」「強いて言うなら」のような表現が含まれます。対して「て言うなれ」で検索するとなんとヒット件数は0。「言うなれば」は117件ありました。意味するところは同じなのに、「例えて」などが前に付くと「言うなら(ば)」となり、単独なら「言うなれば」が優勢。してみると現代において「言うなれば」は、単独で使う場合に確立された慣用形ということでしょう。
その「言うなれば」も、元は「例えて言うなれば」の略なのでした。現在は「例えて言うならば」が使われていますが、こちらも「例えて」が省略され、いずれ「言うならば」を単独で用いるのが主流になることもないとは言えません。そして面白いことにこの「言うならば」は最初に見た古代語の「未然形+ば」に一致するのです。
アンケートで「言うならば」を使うという人は2割程度でしたが、間違いとは言えません。今のところ硬い文章では「言うなれば」がふさわしい、というぐらいが妥当かと思われます。
(2022年03月11日)
「端的に言えば」といった意味でどちらの言葉を使うかという質問です。出題者はずっと「言うなれば」だと思っていました。そのため「言うならば雇用は椅子取りゲームだ」といった記事を読んだとき、これは「言うなれば」に直すべきではと思ったのです。▲実際辞書を引くと、見出し語になっているのは「言うなれば」の方で、「言うならば」を立項しているものは見つからず。しかし岩波国語辞典8版では、「言えば」「言うならば」「言うなれば」の3種類が並べて書かれていました。三省堂国語辞典8版、明鏡国語辞典3版などは「言うなれば」の項目内で「言うならば」の形も掲載しています。▲意味を考えてみると、「もし言い換えるとするなら」という条件を提示しているわけですから、「言うならば」でおかしくありません。「言うならば」の方が理屈上は素直で、むしろ自分の感覚の方がおかしいのかもしれないと思いながら皆さんに伺ってみる次第です。
(2022年02月21日)