「臨場感」という言葉をどのように使うかについて伺いました。
目次
「その場にいるときにも使う」が3割
スポーツ競技の「臨場感」を味わう――この言葉、どう使いますか? |
実際にその場に臨んでいるときに使う 10.4% |
実際はその場にいないが、音響や映像でその場にいるように感じるときに使う 69.5% |
上のいずれの場合にも使う 20.1% |
「臨場感」という言葉は「実際にはその場にはいない」が、あたかもその場にいるように感じるときにのみ使うという人が7割を占めました。一方で「実際にその場に臨んでいる」ときにも使うと考える人が、「いずれの場合にも」という人を含めて3割程度あり、競技場などの雰囲気を表すために使うという人もある程度いるようです。
辞書は「その場にいない」と明記
「臨場感」を国語辞典で引くと、中でも新明解国語辞典8版が懇切な説明を施しています。
〔主体のリアルでデリケートな心情や、その置かれた環境のディテールが〕直接はそのことが行なわれている場にはいないのに、あたかもその現場に居合わせているかのような印象を受ける感じ。「立体音響で―あふれるオペラを鑑賞する/―に満ちた3D映画」
「そのことが行なわれている場にはいない」と明記しており、「臨場感」はあくまで現場にいないときのものだと説明しています。しかし「現場のディテール」はともかく「主体のリアルでデリケートな心情」までをまざまざと感じ取るのであれば、それはもはや現実の体験を超えているのではないかという気もします。
「心の動き」を表す「感」
「感」は「物事にふれて起こる心の動き。感じ。きもち」(日本国語大辞典2版)を表します。ただし「心の動き」なので、現れ方はまちまちです。「安心感」のような場合には「安心」自体が心の動きなので、そのように感じられるという「安心感」との差はごく小さいものになります。「安心感を与える」は「安心させる」とほぼ同じように使うことができます。
それに比べると「開放感」や「生活感」は、実際に開放されていなかったり狭い場所だったりしても何らかの工夫で「開放感」を出したり、また実際には生活の場でないとしても物品の配置や適度に汚すことで「生活感」を出したりすることが可能です。
さらに「透明感」や「立体感」の場合は、実際に透明な物や立体について使うことはまずありません。「透明」や「立体」という、客観的に判定できる物事について「感」をつけるのは、あくまで現実とは異なる「心の動き」についての言及だということになるのでしょう。
実際に「臨場」しているときの感じ方は…
「臨場」も、その場にいるかどうかというのは客観的に判定できることです。それに「感」が付くというのは、あくまで「心の動き」としては臨場している場合に似るということで、実際にはその場にいないと考えるのが自然でしょう。
ただ一方で、実際にスポーツの観戦や劇場での観劇に臨んだ際の感じをどう呼ぶか、という問題はあるかもしれません。会場の空気を選手や演者と観客が共有しているという、一体感や雰囲気をどう表すか。それに悩めばこそ、実際にその場にいる場合にも3割が「臨場感」を使うということなのでしょう。
ただし言葉の使い方としては、「臨場感」はその場に臨んでいない場合に使う方が伝わりやすいということは、今回のアンケートの結果からも間違いありません。現場でしか感じることのできない独特な印象は、その都度的確な言葉を探して表現するしかなさそうです。
(2021年08月24日)
終盤を迎えている東京オリンピック。ほぼ無観客で行われているため「競技場で臨場感を味わうことができない」とする記事中のくだりに同僚からチェックが入りました。「臨場感って、そもそも実際に会場で味わうものではないですよね」と。
確かに。辞書では「あたかもその場に臨んでいるような感じ」(大辞林4版)などと説明されています。「あたかも」とあることが示す通り、その場には「いない」ということを前提として使う言葉です。似たような「~感」の付く言葉を探すと、例えば「立体感」のある絵はあくまで平面です。「透明感」があると言った対象が本当に透明だったら、やはりおかしいと感じるでしょう。
ただし、「絶望感」のような場合は、実際に絶望しているという感情を表すために「感」が使われます。「臨場感」もそうした用法と同様に、臨場している場合に使う言葉と理解されている可能性もあります。皆さんはどう使うでしょうか。
(2021年08月05日)