読めますか? テーマは〈栄冠〉です。
目次
竹帛
ちくはく
(正解率 48%)紙のなかった時代に文字を記した竹や帛(きぬ)から転じて、書物あるいは歴史を表す。「名を竹帛に垂(た)る」は歴史に名を残すという意味。五輪では国ごとのメダルの数よりも、一人一人の名前こそ記録と記憶にとどまるだろう。
(2016年08月22日)
選択肢と回答割合
ちくはく | 48% |
ちくめん | 17% |
ちくきん | 36% |
欣喜雀躍
きんきじゃくやく
(正解率 92%)うれしさのあまり、スズメが小躍りするように躍り上がって喜ぶこと。五輪選手の勝利の瞬間に何度も見られた。
(2016年08月23日)
選択肢と回答割合
きんきじゃくやく | 92% |
きんきしょうやく | 7% |
けっきしんやく | 2% |
土性骨
どしょうぼね
(正解率 46%)生まれつきのがっちりした性質。「ど」は接頭語だが「しょうぼね」という語は手近の辞書には見つからない。「しょうこつ」と読む「性骨」は技芸・運動の生まれつきの資質を表す。リオデジャネイロ五輪女子レスリングで土性(どしょう)沙羅は土性骨の強さを見せ金メダルを取った。
(2016年08月24日)
選択肢と回答割合
どせいこつ | 15% |
どしょうぼね | 46% |
としょうこつ | 40% |
独擅場
どくせんじょう
(正解率 34%)ひとりだけで思うままに振る舞える舞台。「擅」は「ほしいまま」の読みもある。「壇」と誤った「独壇場(どくだんじょう)」が今は一般的になっている。陸上男子短距離はボルトの独壇場だった。
(2016年08月25日)
選択肢と回答割合
どくせんじょう | 34% |
どくだんじょう | 64% |
どくたんじょう | 2% |
衣錦の栄
いきんのえい
(正解率 73%)富と地位を得て、錦の衣服で帰郷する名誉。類語に「故郷に錦を飾る」。勝っても負けても感動という錦を五輪選手たちは故郷に飾った。
(2016年08月26日)
選択肢と回答割合
いめんのえい | 5% |
いきんのえい | 73% |
きぬにしきのさかえ | 22% |
◇結果とテーマの解説
(2016年09月04日)
この週はリオデジャネイロ五輪を受けて「栄冠」としました。
まずは栄冠と逆のお恥ずかしい報告です。「独擅場」の出題時、正解を一時「どくだんじょう」と誤ってしまいました。ツイッターとフェイスブックでおわびを出しましたが、改めておわび申し上げます。正しい選択肢を選んだ方は正解率には反映されているはずですが、正解が「どくだんじょう」となっているため確認のためにあえて別の選択肢を選びなおす方も少なくなかったと思われますので、34%という数字は実態より低いといわざるを得ません。今後このような間違いを繰り返さないようにします。
「土性骨」は「独擅場」に次いで低い数字となりました。レスリングの土性沙羅選手が金メダルを獲得したので急きょ設定した問題です。この姓は大変珍しいのですが、土性選手の出身地、三重県ではそれなりに見られるそうです。「土性骨」は「どしょっぽね」というくだけた言い回しもされますが、「こつ」を選んだ方が割に多いので、いずれにしても今はあまり使われない言葉なのでしょう。なお「ど」はちょっと俗語っぽい接頭語なのであまり新聞では多用されませんが、以前「ど真ん中」という言葉を出して、読者から「真ん真ん中」が適切と指摘され驚きました。この語感には地域性も年代差もあるようです。
「竹帛」も50%を割りました。「名を竹帛に垂る」という「後漢書」の故事からの言葉を知っての出題です。主役は漢王朝再興を助けた鄧禹という参謀ですが、よく知られているとは言えません。この言葉もあまり有名ではないようです。「裂帛」だと「裂帛の気合」という形で小説の戦闘シーンではよく使われると思います。また神社に興味がある方は「幣帛」という言葉をご存じかもしれません。いずれにしても「絹織物」を指すことに変わりありません。
「衣錦の栄」の出典は欧陽脩「相州昼錦堂記」。ただし原文には「衣錦」という文字はありません。「意訳」なのかもしれません。ちなみに以前の早稲田大学文学部入試問題にこの原文がありました。記述式ではなく選択式ですがとても難しいと問題だと思いました。受験生に負けないよう勉強し直さなければなりません。
「欣喜雀躍」は比較的簡単でした。この言葉もストレートに漢文に出てくるわけではないようです。「雀躍」の出典は「荘子」。跳びはねて遊ぶ、ある老人の姿を表現しています。「太宰治の四字熟語辞典」(三省堂)でこの部分をこう読み解きます。
まったく、会話が成立しない老人である。しかし、これが賢者なのだ。
そこには何か、「無心」「無欲」といったイメージがあるように思われる。そう考えると、「欣喜」の「欣」も、単によろこぶだけではなくて、どこか無心によろこぶようなイメージがないでもない。
そう前置きして同書では太宰の名作「駈込み訴え」の使用例に移るのですが、ここではあまり関係ありません。ただ、勝利の瞬間、欣喜雀躍の喜びをみせる選手たちの姿はいつ見ても感動します。それは国を背負う栄誉とか個人の名誉とは関係なく「無心」のよろこびがストレートに伝わるからでしょう。
五輪の栄冠には関係なくても、私たちも無心に努力し無心に喜ぶ瞬間を持ちたいものです。