「進学」という言葉の使い方について伺いました。
目次
半数近くは「社会人から」も含む
大学院の博士課程に「進学」するのはどんな人? |
大学院の修士課程から博士課程へ進む人 51.1% |
社会人から博士課程に入る人 5.2% |
上のいずれも含む 43.7% |
「進学」は現に在学している人に限って使うという「大学院の修士課程から博士課程へ進む人」が5割強を占めました。しかし「社会人から入る人」と「いずれも含む」とした人を合計すると、「修士から進む人」を選んだ人と勢力は均衡しています。「進学」の使い方は限定しすぎない方がよさそうです。
学外からは「進学」と言わないのか
この質問は、原稿に出てきた「大学院博士課程への進学者はこの15年間で半減した」という記述がきっかけです。博士課程に入った人の数は、社会人から進んだ人を含むと「半減」というほど減っておらず、記事の筆者は「進学」という言葉で何を指しているのか、一般的にはどう受け取られるのかと疑問に思いました。
辞書で「進学」を引くと「上級の学校に進むこと」(大辞泉2版)とあり、社会人入学でも最終学歴が修士かその前の段階の人なら当てはまると考えたのですが、筆者は「わかるんじゃないかなあ」といまいち納得がいかない様子。それでも最後は快く「大学院修士課程から博士課程への進学者は」と書き加えてくれましたが、余計なことをしたかなと内心ひやひやしていました。
アンケートの結果では「社会人から博士」も含むとした人が半数近くいたことから、結果的に直してもらっておいてよかったと胸をなでおろしました。
高まる「社会人から」の存在感
そもそも記事中で「進学者」に「社会人から博士」が含まれないことに違和感を覚えたのは、周囲には社会人を経て院に進む友人も多く、それが「進学」でないなら何と表現すればいいのだろうと思ったからです。「入学」「就学」なども考えましたが、どれも「進学よりこちらの方が近い」と言い切れる言葉ではありません。
社会人から入る人について「進学」と言うかどうかは、言葉の問題というよりは、肌感覚の差なのかもしれません。文部科学省科学技術・学術政策研究所の「科学技術指標2019」によると、大学院博士課程に進んだ人の数は2003年度から18年度にかけ、約1万8000人から1万5000人へと減っています。しかし、社会人の割合は21.6%から42.7%へと倍増しており、人数でも2000人以上の増加。社会人から博士課程へと進む人の存在感は、以前よりはるかに高まっています。
体感の変化が意味に影響
筆者はベテラン記者だったので、もしかすると身近で博士課程に進んだ人は多くが修士から上がった人で、進学者の前提として「博士=修士から」という体感があったのかもしれません。ひるがえって現在では大きく環境が変わっています。そうした変化がアンケートの結果にも反映していると思います。
ことば単体で考えるのみならず、こういったデータに触れることでもことばの移り変わりを感じられ、興味深い発見となりました。
(2020年03月20日)
ある原稿で目にした「大学院博士課程への進学者はこの15年で半減した」というくだり。調べてみると、社会人から博士課程に入った人を含むと、「半減」というほどは減っていないことがわかりました。筆者に問い合わせたところ、修士から直接進む人だけを指した数字だとのこと。
「『進学』だから、修士から上がる人だと分かるのでは?」と言われて話し合いに。しかし、辞書で「進学」を引くと「上級の学校に進むこと」(大辞泉)とあります。社会人入学の場合でも、最終学歴が修士かその前の段階の人なら、この記述は当てはまりそうです。結局、その部分は「大学院修士課程から博士課程への進学者は」と直してもらいました。
皆さんは「進学」という言葉でどんなイメージを持つものでしょうか。現に在学している人について使う、という捉え方の方が一般的なのかどうか、伺ってみたいと思います。
(2020年03月02日)