新聞を読んでいて、この文脈でこの言葉の使い方はおかしいんじゃないか、と感じることはあるでしょうか。誤用とまでは言えなくても、人によって受け取り方が違ってくる言葉があると思います。ここではそんな例を幾つかご紹介します。
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「母校」は卒業した学校?
ある記事に「母校で~」という見出しがつきました。どうも、記事中で取り上げられている高校生が在籍中の高校を指して「母校」としているようでした。
広辞苑
母校という言葉は広辞苑第7版が「自分が学んで卒業した学校。出身校」と説明しているように、「卒業した学校に対して使う言葉」というイメージがあったので間違いではないかと思いましたが、辞書によっては「自分が学んでいる学校。また、自分が学んで卒業した学校。出身校」(明鏡国語辞典第2版)という説明も。在籍中の場合に使ってもいいということになります。
明鏡
周りの先輩にも「卒業した人に使うイメージ」という人がいましたが、間違いとも言えないので見出しはそのままいきました。読者に誤解をあたえないかな、と少し気になりましたが、どうでしょうか。
「浮足立つ」は不安や恐れ?
また別の原稿中に、「浮足立つ」という言葉が出てきました。米朝首脳会談直前、両国の関係が改善すれば大きなビジネスチャンスになると他国が浮足立っている、という話です。特になにも思わず読みとばしてしまいましたが、この使い方は正しくないのでは?との指摘が。
大辞泉
「浮足立つ」は「不安や恐れで落ち着きを失う。逃げ腰になる」(デジタル大辞泉)というように、負の感情に対して使うことが多い気もします。しかし、辞書によっては、「浮足立つ」は「期待や不安など先が気になって、今のことに気分が集中できなくなる。浮足になる」(広辞苑7版)とも。
広辞苑
不安や恐れだけでなく、期待をして、という場合にも使っても間違いではないというわけです。なかなかうまく言い換える言葉も思いつかず、結局そのままにしておくことになりました。
感動で「鳥肌が立つ」
たまに見かける、使い方に注意しなければならない言葉として「鳥肌が立つ」もあります。この言葉は、毎日新聞の用語の決まりを載せた用語集に「誤りやすい表現」として挙げられており、「恐ろしさや寒さのために皮膚がざらつく状態を指す。感動の表現に使うのは好ましくない」と注意喚起しています。
広辞苑
しかし、この言葉についても、最近の版の広辞苑(2006年の第6版から)など、近年は感動したときにも使うことを付記する辞書も増えてきています。今年行われたサッカー・ワールドカップをテレビで見ていても、選手の素晴らしいプレーに対して、「鳥肌が立ちますね」という解説者のコメントがありました。
正しい情報を伝えることは当然として、取材記者が伝えたいニュアンスなどを、誰が読んでも分かるような形でお届けする、というのはなかなか難しいことだと感じています。