「早起きは三文のトク」ですね。皆さんはこのトクにどういう漢字を入れますか。一般的には「得」とも「徳」とも書かれますが、新聞では「徳」と決めています。三文という金額が出るのに「得」としないのはなぜか考えてみました。
春のうららかな朝、惰眠をむさぼりつつ自らへの言い訳として使われる「春眠暁を覚えず」というフレーズ。中国の孟浩然の漢詩に基づきますが、逆の意味で連想されることわざといえば「早起きは三文のトク」ですね。皆さんはこのトクにどういう漢字を入れますか。
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新聞では「徳」と決めるが「得」もあり
毎日新聞、そしてほとんどの新聞・放送にとっての「正解」は「徳」です。ええっ「得」じゃないの、今まで間違っていた!と思った方、ご安心ください。「得」も間違いではありません。
このことわざにはいくつか由来説があります(※1)が、孟浩然の漢詩のようなはっきりした出典がありません。だから正解はないのです。もっとも出典が明確でも日本で別の表記が流布する例は数知れませんが、自然発生的なことわざならなおのこと、一つの表記が絶対にはなりえません。
でも、複数の表記があると、本当はどちらでもいいことでも、いちいちどれが正しいのかと迷ってしまいます。それで毎日新聞用語集では1996年の版から「とく」の使い分け例として「早起きは三文の徳」を入れました。新聞・放送各社、通信社などが加盟する日本新聞協会新聞用語懇談会でも「徳」と決めています。
その理由は会議資料が手元にないので推測ですが、当時は各社とも紙面のデータベースが未構築のため、自社の使用実態よりは辞書やことわざ辞典の表記で多いものを選んだのではないでしょうか。文化庁の1987年の小冊子「言葉に関する問答集」で「早起きは三文の徳」が挙げられていることも一因だったかもしれません。
ただし、用語集に掲げられているといっても、必ずしも順守されているとは限らない実態があります。たとえば毎日新聞の1面コラム「余録」でも「得」が出たことがあります。おそらく「得」しかないと思い込んでいる記者、校閲者が多かったのでしょう。
もとは「朝起き」だった?
また、今出ている辞書で見ると、併記あるいは注釈として両方載せる物が多いのですが、「得」を前に出す辞書が多くなっているように感じます。中でも、角川必携国語辞典は1995年発行なので最近とはいえませんが注目に値します。「早起きは三文の得」を前に出し、「『朝起きは三文の徳』とも」とあります。
ここで「得か徳か」の問題は後述するとして、「早起き」に対する「朝起き」という言葉が出ていることに注意してください。そう、今でこそほとんど使われませんが、「朝起き」という名詞は辞書にも載っています。小学館日本語新辞典には「早起き」と「朝起き」の違いを、次のように記しています。――「朝起き」は習慣として早く起きる感じで、臨時に早く起きる場合はふつう「早起き」を使う。
とすると、「朝起きは三文の徳」は日々の徳行として奨励される言葉、「早起きは三文の得」というとたまたま早起きしたらいいことがあって得した――という使い分けになるのかもしれません。
もっとも、「朝起き」という言葉は使われなくなっていき、もはやこの使い分けは意味を失っていると思います。ただ、もし「朝起きは三文の徳」と原稿に出てきても、「朝」は「早」の間違いだと早合点しないように注意したいものです。
昔から得と徳は入れ替わりやすかった
さて「得・徳」問題に戻りましょう。この字は意味が全く違うように思えるかもしれませんが、お得になる商品は「徳用」と書かれますね。全訳漢辞海(三省堂)によると「『徳』は『得』である。事宜(ジギ=ことがらの道理)を得るのである」とあります。
ちなみに、大河ドラマの主人公、家康が松平から徳川に改名したのは、群馬県の新田氏(元は源氏で、家康の祖先とされる)が居を構えた地にちなみ「得川」を称したことと関連があるようです。昔から「得」と「徳」は入れ替えが行われやすい字だったわけです。
だからどちらでもいいといえるのですが、「得イコール徳」ではなく、「徳」の多様な意味内容の一部に損得の「得」の意味がある、ということはいえます。
三文だけでも精神的な富に
「三文」という金額が示されるからには「得」の方がしっくりくるという向きもあるでしょう。ただし「三文」というと三文判、二足三文など、安い、価値がないものとされます。3文は今のお金にして60円程度といいます。
ここからは個人的見解ですが、三文の他の言い回しに倣えば「早起きは所詮、それだけの値打ちしかない。だったらもうちょっと寝ておこう」という使い方があってもおかしくないと思われます。ですが、あまり見当たりません。
ということは、朝早く起きるのは損得抜きでよいことという認識が以前からあったのかもしれません。そしてそれは、毎日続けることで自然に身につく「徳育」という意識があったのではないでしょうか。とすると、三文という額はあまり関係がなく、少しずつ重ねていくことが「ちりも積もれば山となる」。そしてそれは物質的な金銭ではなく、精神的な豊かさにつながる。それこそ「早起きは三文の徳」の本質とすると、利得のイメージの「得」よりも「徳」のほうがふさわしいと思えるのです。
もとより個人的見解にすぎませんし、「得」が不適切といいたいわけでもありません。しかも、最近の研究では、無理をして早起きするとストレスが増加するという実験結果があるそうなのです(※2)。
それでも、生活リズムを崩さない無理のない範囲で早起きを続け、朝の爽やかな空気の中で道の掃除をしたり近所の人にあいさつしたりするだけでも「徳」であり精神的な富になるのではないでしょうか。
(※1:ことわざの研究家、時田昌瑞さんによると、由来説には主に二つの系譜があり、一つは中国の古典を引用する江戸期の文献、もう一つは奈良を舞台にした落語で伝えられる伝承ということです。落語では、神の使いとされる奈良の鹿は殺したら極刑になるので、家の前に朝たまたま鹿が死んでいると、眠っている隣の家に移し、隣の者も同様にその隣へ……と続くうちに奈良の人はみな早起きになったとか。面白い話ですが、奈良の鹿を殺した科料が3文というのは安すぎるなど、矛盾点が多いと時田さんは言います)
(※2:堀田秀吾著「このことわざ、科学的に立証されているんです」などで紹介されるウェストミンスター大学・クロウ氏の研究)
【岩佐義樹】