あまり語られることがないと思われる校正・校閲者の心情の一端が表現されている本がありました。本や出版業に関連のある人々の短歌が集められている「出版人の萬葉集」(日本エディタースクール出版部)。さまざまな立場で詠まれた歌があるのですが、中でも「校正」にまつわる歌が集められた章には、私たちにも味わい深く共感できるものが少なくありません。同書から一部を紹介しながら、鑑賞してみたいと思います。
わがのちも残る紙面と思ふとき宝探しのまちがひさがし (末継由紀子)
作者のわくわくとした思いが伝わってくる。いつか自分がいなくなっても、その仕事は後世に残るのだ。そう思えば、日々目を皿のようにして文字に向き合う仕事も、宝探しのように楽しいものである。視力が下がる一方ではあるが……。
朝刊に熊のごとくに誤植立ち蒼ざめるとも赭らめるとも (永田幸寛)
こういう事態は残念だが現実にありうる。自宅でのんびり新聞を読んでいる時ならば、熊に出合うような衝撃といっても過言ではないだろう。誤りを見つけるのが仕事とはいえ、刷り上がって配達されてしまった以上、手のうちようがない。ため息が出るばかりだ。
爪の字の出てくるたびに目をこらすかつて不覚にも瓜とミスして (晋樹隆彦)
間違いやすいから注意すべき字、というのはある。この仕事をしていると経験的に覚えていく。ただ、その経験というのは大抵の場合「失敗」だ。年輪を重ねた校閲者が立ち止まって目を凝らす字は、古傷でもあるのかもしれない。
苦き思ひはかたへに押し遣り今は触れず新しきゲラにひた向ふわれ (久賀弘子)
頭を抱えたくなるようなミスをやってしまうことは誰しもある。だが、そんな時こそ気持ちの切り替えが大切だ。集中力を欠くと致命傷に直結するのがこの仕事。ゲラは待ってくれない。悔しさや罪悪感を振り払い、平常心を保とうと努める。
校正にややに疲れし目には沁む白さるすべり零るるばかり (本田禎子)
室内に座りっぱなしで、目を酷使する日々。花や緑を眺めると、目だけでなく心まで洗われる思いがする。折々、意識して外を歩き、自然に触れて季節を感じたいものだと思う。