読めますか? テーマは〈天と地〉です。
天地の詞
答え
あめつちのことば
(正解率 55%)「いろは歌」に先立つ数え歌。平安時代初期に成立した。「あめ、つち、ほし、そら、やま、かは、みね、たに、くも、きり、むろ(室)、こけ、ひと、いぬ、うへ、すゑ、ゆわ(硫黄)、さる、お(生)ふせよ、えのえを(榎の枝を=「え」は当時発音の区別があった)、なれゐて(馴れ居て)」
(2014年10月06日)
選択肢と回答割合
あまちののりと |
35% |
あめつちのことば |
55% |
てんちのうた |
10% |
霹靂
答え
へきれき
(正解率 94%)急に激しく鳴る雷。「青天の霹靂」は急に起こった大事件のたとえとして用いる。「晴天の霹靂」は日本国語大辞典などに用例があり今は誤字とはいいにくいが、中国の陸游の詩が出典であり「青天」が適切。その詩では、突如起き上がり筆を執る様子のたとえだった。
(2014年10月07日)
選択肢と回答割合
天地無用
答え
てんちむよう
(正解率 96%)上下を逆にしてはいけないという注意。この「天地」は上下の意味で、段ボールなどに書かれる。文化庁「国語に関する世論調査」では「上下を気にしないでよい」という意味と答えた人が29.2%だった。本来の意味で答えた人は55.5%。
(2014年10月08日)
選択肢と回答割合
あまちむよう |
3% |
てんちぶよう |
1% |
てんちむよう |
96% |
地霊
答え
ちれい
(正解率 33%)大地に宿るという霊的存在。万物を育み恵みを与える半面、地震や噴火などの災害をもたらすとされる。奥泉光さんの小説「東京自叙伝」は「地霊」が主人公。
(2014年10月09日)
選択肢と回答割合
澄明
答え
ちょうめい
(正解率 59%)澄み切って明るいこと。50年前の東京五輪開会式は快晴に恵まれ澄明な空のもと行われた。10月は本来「空気に澄明感があり」と歳時記にも記される季節だが、御嶽山(おんたけさん)の噴煙の前では地霊の非情さを思わざるを得ない。
(2014年10月10日)
選択肢と回答割合
ちょうめい |
59% |
とうめい |
10% |
とうみょう |
31% |
◇結果とテーマの解説
(2014年10月19日)
この週は「天と地」。直接の契機は御嶽山の噴火や相次ぐ水害などの天変地異です。また、文化庁「国語に関する世論調査」の中で「天地無用」が取り上げられていたことも意識しました。
その「天地無用」の正解率が最も高かったのですが、国語調査でも漢字の読みではなく意味が問われていましたから、読みやすいのは分かっていました。日常生活では段ボールに多く見られますが、引っ越しのアルバイト学生らには意味を分かってもらえているのでしょうか。なお、新聞に載せる写真の原稿では、上下が分かりにくいものがあると「↑天」「地↓」などと書かれています。
微差で「霹靂」。難しい漢字ですがよく読めています。御嶽山噴火はまさしく青天の霹靂でしたが、霹靂とは稲妻のこと。この稲妻の読みは「いなづま」か「いなずま」かというテーマのコラムは以前「毎日ことば」でも取り上げました。
2014.02.22Aくんは国語が得意な中学生。漢字テストではいつも満点なのに、この日は漢字の読みを聞く設問で、稲妻(いなずま)を「いなづま」と書いてしまい減点されてしまいました。早速広辞苑で調べてみると、確かに「いなずま」で載っています。しかしAく...
発音上は同じなのでどちらでもいいじゃないかと思う方もいるでしょうが、パソコンなどの入力では「いなづま」と打っても一発変換しないと思います。「霹靂」という難しい字がパソコンでは楽に出せるのに、現代仮名遣いで入力しないと「稲妻」がすぐ出てこないというのは皮肉です。
「澄明」の59%は、常用漢字音訓表にある読みだという割には低い数字です。訓の「澄む」に比べ音読みが知られていないことがうかがえます。ほとんど使われないかというとそうでもなく、今回の御嶽山噴火を受けた毎日新聞夕刊「近事片々」では「天界を押し上げたような、澄明な秋晴れがかなしい」とありました。
「天地の詞」。いろは歌成立以前にひらがな1文字ずつ繰り返さないように並べたものです。「あめ、つち、ほし、そら、やま……」と初めは今でも基本的な言葉が続くのですが、最後の方で「ゆわ」という謎の言葉が出てきます。大辞林などには「硫黄」のこととあります。どうやらはっきりそうと決まっていないようですが、古代人にとっても硫黄はなじみ深い言葉だったのかもしれません。今も昔も日本は火山と温泉の国ですから。
今回最も難しかったのは「地霊」。こういう一見簡単な語が漢字クイズでは逆に惑わせることは、これまでもよく見られました。
さて、今回は問題にしませんでしたが、天と地のテーマにぴったりな言葉は「杞憂(きゆう)」です。「天地が崩れるのでは」という取り越し苦労の意味はよく知られていると思いますが、出典である中国の古典「列子」の話はもっと複雑だったと最近知りました。天地の崩壊を心配する人、そんな心配は無用だと言う人の後で、賢者が「崩れるのを心配する者も現実離れしているが、かといって、崩れないと言い切る者も、正しいとは言えん」「いざそのときになったら、どうしたって心配しないではいられまいよ」と言うのです。「列子」にはさらに先があって、列子自身が登場し「そんなことを考えたって仕方がない」と結論付けます。以上、円満字二郎さんの著書
「ひねくれ古典『列子』を読む」(新潮選書)で知りました。
その列子の結論は真実の一面かもしれませんが、それよりも賢者の言葉の方が、天変地異を経験したばかりの私たちにとって、なんとも不気味な予言に感じられるのではないでしょうか。たとえ結果的に杞憂となろうと、災害への備えは怠ってはならないという戒めにすべきでしょう。