1945年生まれ。早稲田大学卒業。ことわざにまつわる多数の収集物を「時田昌瑞ことわざコレクション」として明治大学に収蔵。著書「岩波ことわざ辞典」「岩波いろはカルタ辞典」(以上岩波書店)、「図説ことわざ事典」(東京書籍)、「ちびまる子ちゃんの続ことわざ教室」(集英社)、「たぶん一生使わない!?異国のことわざ111」(イースト・プレス)など多数。NHK「チコちゃんに𠮟られる!」で海外のことわざを紹介するコーナーにこれまで3度出演。
目次
「兎を見て犬を放つ」の意味は?
――卯年(うどし)にちなんでウサギのことわざの話題から入りたいのですが、ウサギのことわざって意外に少ないですね。すぐ思いつくのは「二兎(にと)を追う者は一兎をも得ず」ですが、西洋からきたことわざだそうですし、中国由来の「株(くいぜ)を守りてウサギを待つ」も、唱歌「待ちぼうけ」ほど有名ではないし。プラスイメージを生かしたことわざはありませんか。
時田さん 肯定的なものでは「兎(うさぎ)波を走る」があります。かぶとなどの武具や馬具など、さまざまなものに利用されている日本の主要な文様のひとつです。意味としては、「(白く流れ飛んで見えるところから) 月影が水面に映っているさまのたとえ。また、船足などのはやいたとえ」と日本国語大辞典にありますが、それ以外に強い闘争心を表していると見るものもあります。ですので軍旗や鍔(つば)などの武具に取り入れられているのでしょう。ただ、これも江戸時代ころまでの話で、現代は可愛い図柄として人気があるものに変わってきていますね。
――「兎を見て犬を放つ」というのもありますが、「泥縄」の類いと思ったら、全く違う意味もあるんですね。
時田さん 「兎を見て鷹を放つ」ともいって、江戸後期の読本の例では「手遅れ」の意味でしたが、近代以降「過ちを犯しても、まだ取り返しがきく」「状況を見極めてから対策を講じても遅くない」というプラスの意味になったようです。
「犬も歩けば棒に当たる」三様
――解釈が両極端なことわざといえば「犬も歩けば棒に当たる」もそうですね。この解釈は、どのように変わってきたのでしょう。
時田さん 何か行動すると災難に遭遇するという「不幸説」から、何かをやっていれば意外な幸運に出合うという「幸運説」へと変わってきたというのが一般的な解釈です。でも私の調べた範囲では、それは根拠がありません。江戸中期から明治期までの用例では幸運説の方が多く、戦後になって不幸説が多くなるからです。最近では、幸不幸は問題ではなく、ただ単に何か思いがけないことに出合うときに使う例もありますね。
――ほかに、いい意味から明らかに悪い意味に変わったことわざには何がありますか。
時田さん 「臭い物に蓋(ふた)」は、江戸から明治には「臭い物には蓋をせよ」という形でも使われ、恥や悪いことは人にさらしてはいけないというニュアンスでした。世間への対処として、こんなことをしてはいけない、身を慎めという教訓としての意味合いが強かったんです。それが体言止めになって、悪事を隠すという悪い行為のことを示すようになりました。今ふうの解釈が普通になるのはおそらく戦後の新聞の影響が強いと思います。
また「君子豹変(ひょうへん)す」はもともと中国のことわざで、事態に対する身のかわし方を表していたのが、「態度をころっと変える」という悪いたとえになりました。「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」は「努力すればいい結果が出る」から「まぐれ当たり」の意味になりました。
少数派の解釈は補足が必要
――逆にマイナスのニュアンスからプラスに変わった言葉は。
時田さん 「二足のわらじ」は「履けぬ」と続けて「同時に二つのことはできない」という意味にも使われてきましたが、今はもっぱら「二つの仕事を持つ」という意味です。
――そうですね。私が入社した30年くらい前は、校閲でも先輩から「賭博を取り締まる岡っ引きが賭博をするという、悪い意味で使われた言葉だから気をつけろ」と言われ、それ校閲だけが気にしているんじゃないかと思ったことがあります。結局その後、毎日新聞用語集でもその注意事項は削除されています。
時田さん 講談「清水次郎長」に「保下田(ほげた)の久六といふ博奕打(ばくちうち)と御用聞と二足の草鞋(わらじ)を穿(は)く太い奴(やつ)」との使用例が戦前期に見られる古いものですが、今ほどポピュラーではなかったですね。校閲だけが気にしているということですが、校閲が言葉に敏感でないと困ります。ただし、言葉は共通のもので、現在流通している大勢の解釈を前提にしないと伝わりません。少数派の解釈で使うときは何らかの注釈なり補足なりが必要でしょう。
複数の意味は当たり前
――他にもまだまだ、意味の変わった言葉はありそうですね。
時田さん 「縁の下の力持ち」は「人目につかないところで努力しても評価されない」という徒労のニュアンスがありましたが、戦後から「人知れず他人のために努力する」という積極的な意味づけになりました。
――「情けは人のためならず」もよく話題になりますよね。2010年度の文化庁「国語に関する世論調査」によると、「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」という本来の意味を選んだ人が45.8%、「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」という新しい解釈を選んだ人が45.7%と、真っ二つに割れています。
時田さん 新解釈は昭和30年代からあり、格好の話題としてよく取り上げられ、何回も調査されてきましたが、今は過半数が新しい方で捉えているのではないでしょうか。私はもう認めてしかるべきだという立場です。ことわざは二通り、三通りの意味があるのも当たり前で、どの意味で使っているかは文脈で判断するしかありません。
――新聞が「ひと」を「他人」と書かないからそういう間違いが生じるのだと、漢字制限にからめて批判してきた読者もいました。
時田さん 昔は「他人」という言葉は少なく、「人」で他人も指すのが前提だったように思います。「情けは人のためならず」を「その人のためにならない」と捉えるのは、「人」から他人一般の意味が見失われた現代人の着想かもしれません。
【聞き手・岩佐義樹】