正月なので「正」の字について考えてみます。
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強引に変えられた150年前の暦
ちょうど150年前の1873(明治6)年元旦、新暦、つまり太陽暦が始まりました。とはいえ前月の旧暦12月は2日だけ。正月気分はなかったでしょう。
ここで1872年12月は2日しかなかったと書きかけ、ちょっと違うなと思いました。あくまでも旧暦としてであり、西暦とイコールではないので、年なら明治5年と書くべきです。
こう書くだけでもややこしいので、当時の庶民がすんなり受け入れたはずはありません。実際、「一月一日を祝する者僅に百分の一のみなり」と「郵便報知」が2月1日に伝えているそうです(岡田芳朗「暦ものがたり」角川ソフィア文庫)。
翌年1月6日の東京日日新聞(毎日新聞の前身)もいまだに所々で「徳川暦」と呼ばれる太陰暦が使われていたと記しています。
厳寒の季節に「迎春」となり、3月3日に桃の節句を迎えるなど、季節と暦のずれは現代でも時に意識されます。今でもそうですから、当時の人々の戸惑いは想像に余るものがあります。それでもとにかく太陽暦に強引に変えることができたのは、曲がりなりにも明治政府が強大な権力を手にしたからでしょう。
「正」の字は戦争を表した?
ところで、1月がなぜ「正月」とも呼ばれるか、考えたことがあるでしょうか。
円満字二郎さんの「漢字ときあかし辞典」(研究社)によると、「正」の字には「基準となる」という意味の使い方もあり「正月」「正午」もその一つといいます。
その基準は誰が作るかというと「権力者」ですね。いわば「正」は権力が作るといえるかもしれません。
「正」の成り立ちについて調べていくと、ちょっと暗然としてきました。
阿辻哲次さんの「漢字のなりたち物語」(講談社)に「正しい戦争」という副題のページがあります。「正」の上の「―」は元の形は□で、壁で囲まれた集落を示し、「止」は人間の足跡を表すとのことです。つまり、
「正」は城壁に囲まれた集落に向かって人が進んでいる形を表しており、その目的は攻撃だった。「正」は他者に戦争をしかけることをいう字であり、「勝てば官軍」、勝った者が正義を獲得するのが世の常だ。それでこの字が「ただしい」という意味をもつようになり、今度は逆に本来の「戦争」の意味がしだいに忘れられるようになった。
そこで改めて、遠征・征服の「征」の字が作られたそうです。「つまり『正』と『征』は親子の関係」ということです。
武力で政権を奪った薩長による明治政府が、新しい暦の基準として「正月」を定めたのも、力こそ正義という現実を目の当たりにするようで、新年から暗い気持ちになります。
ちなみに、毎年年末に明治安田生命保険が発表する、赤ちゃんの名前の人気ランキングによると、「正」の字は2022年、全く入っていません。懐かしの「オバケのQ太郎」の正ちゃん、「鉄人28号」の正太郎少年のように、「正」がテレビでも当たり前だった半世紀前の時代からすると隔世の感があります。「正」が不人気になった理由は分かりませんが、「正」が戦争の意を出自に持つからというよりは、正義など「正」の価値観を無条件に子に負わせることに親がちゅうちょするのも一因かもしれません。
始皇帝の名、「正」の資料発見
さて、暦を新たに定めたのが強大な権力であるように、漢字を統一したのも古代中国の初めての統一王朝、秦(しん)です。戦国時代は各国が独自の文字を使っていたのですが、統一国家ができると文字も統一する必要がありました。
ここで私が思い出すのは、円城塔さんの「文字渦」という奇妙な小説です(新潮文庫。中島敦の「文字禍」とは「か」の字が違うことに注意)。日本の漫画・映画でも有名な秦の始皇帝「嬴(えい)」が出てくるのですが、読み進めると「嬴」が「贏」になったりして「あれ? 校正ミスか?」と思いました。下の真ん中の「女」が「馬」になったり「羊」になったり「土」になったりしたところで、これこそ作者のたくらみだと気づきます。字がぐるぐる回る、まさに「文字渦」。登場人物の字を少しずつずらし、複雑怪奇な文字を統一する困難を皇帝自ら示しているのです。
規則が必要であると主張する嬴自身が未だ、自分を律しきることが叶わずにおり、文字の繁殖力の前に蹌踉(よろ)めき、揺らめいていた。
ちなみに、この字のデザインは時空を超えて現代日本にも変更をもたらしています。以下は毎日新聞のフォントを2021年に変えたときの文書の一部です。微細な変更ではありますが、「文字の繁殖力」との戦いは今も人知れず行われているのです。
しかし、とにもかくにも、漢字は「篆書(てんしょ)」という書体にまとめられ、秦の後の王朝「漢」以後、行書、草書、楷書など、今も使われる「漢字」へと続いていくことになります。ただし漢の時代に「漢字」という熟語ができたわけではなく13世紀に初めて「漢字」という漢字が現れるそうです。
なお、始皇帝「嬴」は姓であり、名は「政」とされるものが多いのですが「正」とするものもあります。劇場版「キングダム」の監修も務めた鶴間和幸さんの「新説 始皇帝学」(株式会社カンゼン)によると、最近発見された竹簡では名が「正」となっていたそうで、「政」は名をそのまま記すことを避け司馬遷が変えたのではないかとあります。もし「正」が正しいとすると、文字が持つ「戦争」「基準」を、始皇帝の名そのものが表しているといえるかもしれません。
「正」の「直」からきたのかも
しかし、「正」が戦争を意味したという説は、本当に正しいのでしょうか。漢字のなりたちには諸説あるのが常。「漢字の語源」(山田勝美、角川書店)を開くと、全く違うことが書いてありました。
「正」の上の「―」の古い形(□みたいな形)は城壁ではなく、膝頭の象形と解きます。膝から下は曲がらないことから「直」の意味に通じ、曲がらないから「ただしい」の意味になったとのことです。
そういえば「正直」という熟語もあるし、これなら素直に正月を祝えますね。
本当のことはだれも分からないのでしょうが、このように、書いてあることをうのみにするのではなく、「本当に正しいか」と疑うのは校閲者の性癖かもしれません。
そうそう、「正」は校正の「正」でもあります。字などの間違いを正す仕事ですが、何が正しいかは時に揺れ動きます。「文字渦」から再び引用すると「偽文字が本物の文字の十倍、百倍量存在すれば、真の文字は多数決的に失われることになる」。
校正・校閲と呼び名は職場によって異なることがあっても、「正しい文字」「正しい情報」を目指しつつ、何が正しいのかで悩むことの多いことでは共通するのではないでしょうか。今年もその葛藤をブログなどでつづっていきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
【岩佐義樹】