「潮時」という言葉をどう使うか伺いました。
目次
7割は「やめる」場合に使う
そろそろ「潮時」だ――どういう使い方をしますか? |
何かに取りかかるのによいタイミング 15.2% |
何かをやめるのによいタイミング 71.5% |
上の両方の意味で使う 13.3% |
「潮時」という言葉は「何かをやめるのによいタイミング」に使うと答えた人が7割を占めました。国語辞典は「物事を始めたり終えたりするのに、適当な時機」(大辞泉2版)のように説明するものが多いのですが、実態としては「終える」方に偏って使われていることが分かります。
「やめ時」も「ちょうどいい時期」の一部
「潮時」については、最近改訂された三省堂国語辞典(8版)が、小辞典ながら他の辞書よりも紙幅を割いて説明しています。
しおどき[潮時]①満潮または干潮の時刻。②ちょうどいい時期。チャンス。「―を見て相談する」③特に、やめるのにちょうどいい時期。「今が―と辞任する・私たちそろそろ―〔=別れどき〕かも」 現在は③の用法が増えたが、昔からある②の用法の一部であり、かけはなれた用法ではない。
「別れどき」ってなんだろう(別れ話をするときに使えとでもいうのでしょうか……)というのはともかくとして、やめるタイミングという用法はあくまで「ちょうどいい時期」の一部であって、目立って新しい用法でもなく、ましてや誤用でもないということを積極的に押し出しているようです。
これは2012年度の文化庁「国語に関する世論調査」で、「潮時」の使い方について「ちょうどいい時期」か「ものごとの終わり」かという選択肢を挙げて聞いていたことが影響しているかもしれません。三国は、たとえ「ものごとの終わり」のように読み取れるとしても、「終わらせるのによいタイミング」として考えれば旧来の用法から見ても違和感はないのだと念を押しているように見えます。
元々は何をするのに「ちょうどいい」?
ところでこの「潮時」というのは「潮が満ちたり引いたりする時」(大辞林4版)とまず説明される言葉ですが、いったい何に「ちょうどいい時期」なのでしょう。校閲のツイッターには、釣りをする人からと思われる「潮時はまさにちょうどいいタイミング」という趣旨の意見が寄せられました。
また、万葉集の額田王の歌「熟田津(にぎたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」の歌を引いた方もありました。熟田津は道後温泉(松山市)あたりにあったとされる古代の港。「熟田津で船出しようとして月の出を待っていると 潮も幸い満ちて来た、さあ漕ぎ出そうよ」(小学館「日本古典文学全集6 万葉集」)というのが大意です。これに従えば潮が満ちてくるのが船出にちょうどよいタイミングだということで、なるほど「潮時」だと感じます。
余談ですが直木孝次郎氏の「夜の船出」(塙書房)によると、この歌でわざわざ夜に船出するのは、瀬戸内海では夜になると陸から海に向けて風が吹く(逆に昼間は海から陸に吹く)ためで、「航海術の幼稚な時代の多島海では、夜の船出はむしろ普通のことであったと考えられる」とのこと。直木氏はさらに「『潮もかなひぬ』は『潮の流れも都合のよい方向に流れだした』という意味に解するのがよいかもしれぬ」とも記しており、これでは「潮時」の意味とはちょっと離れてしまうのですが、それもひとつの考え方なのでしょう。
「やめ時」として定着進む
正直にいうと、出題者は「潮時」が「やめ時」以外の使い方をされるのを見たことがないのではないかと思います。今回のアンケートで「やめるのによいタイミング」を選んだ人が7割を超えたのも当然と感じます。「よいタイミング」という基本的な意味は押さえるとしても、単に「潮時」といった場合には「やめ時」と捉えられがちであることを踏まえておく必要があると考えます。
(2022年02月22日)
「潮時」は「潮水が満ちる時、また、引く時」(日本国語大辞典2版)。船を出すのには潮の満ち引きのタイミングが大事なので、転じて「物事を行なったりやめたりするのに適する時。好機」(同)という意味でも使われます。▲辞書の説明にある通り、何かを始めるにせよ終えるにせよ、ちょうどよいタイミングというのが「潮時」ですが、最近ではもっぱら、何かを終わらせるときに使われているのではないかと感じます。毎日新聞の過去記事を見ても、直近の20件はすべて、何かをやめるタイミングを指して使われていました。▲辞書に載るように、好機であれば始める場合でもやめる場合でも使えるということを知っている人でも、周囲の使用例がやめる場合ばかりであれば、自然とそうした使い方に倣うようになり、言葉の意味が限定的なものになっていくかもしれません。アンケートの結果にそうした変化が表れるかどうか、伺ってみたいと思います。
(2022年02月03日)