「立ち行かない」を仮名にするとどうなるかについて伺いました。
目次
7割は常に「立ちゆかない」
物価高で暮らしがどうにも「立ち○かない」――どう使いますか? |
立ちいかない 13.9% |
立ちゆかない 71.5% |
口頭では「立ちいかない」、書き言葉では「立ちゆかない」 11.6% |
どちらでも気にならない 3% |
漢字を使えば「立ち行かない」となる言葉で「行」を仮名にするとどうなるかという問いでした。結果は、常に「立ちゆかない」を使う人が7割を占めましたが、「立ちいかない」「口頭では立ちいかない」を選んだ人を合わせると3割弱に。複合動詞では「~ゆく」となるのが普通ですが、用法の揺れもうかがえるようです。
同じ言葉だが音が分かれる「いく」と「ゆく」
常用漢字表では、「行く」の訓読みには「いく」「ゆく」の両方が記載されています。国語辞典などを見ても、どちらの読み方が正しい、といった記述はありません。いずれも正しく、古くから使われてきたというのが実情です。ただし、「古典基礎語辞典」(角川学芸出版)の「ゆく」の項目には以下のようにあります。
ユクとイクはともに上代からあるが、上代ではユクがイクより圧倒的に多く用いられた。
イクは記紀歌謡にはなく、『万葉集』でも数例のみで、それも東歌などを中心に、すべて字余りの句に限られている(ユクにも「家にゆきて」のように字余りの句はある)。
このユク優勢の傾向は中古以降も続き、特に複合動詞では「…ゆく」がほとんどである。〔字下げは引用者〕
もう今回の解説の趣旨が全て書いてあるような気がしますが、文献が確認できる昔から「いく」「ゆく」両方が見られるものの、長い間「ゆく」が優勢であったということです。
ただし、現在では「ゆく」は文章語的だと考えられており、口頭での使用も含めた口語としては「いく」の方が標準的だと捉えられています。なぜか。動詞の活用形として連用形にする場合、「いく」は「学校にいった」「いってきます」という形(促音便)を取ることができるのに対し、「ゆく」は「学校にゆった」「ゆってきます」とはならないからです。文章上は「ゆきて」のような形を取り得ますが、口語としてはなじみません。こうした制約のある「ゆく」よりは「いく」が使いやすいのです。
複合動詞は「~ゆく」が普通
その一方で、「古典基礎語辞典」にもあるように、複合動詞では「~ゆく」となるのが普通です。複合動詞とは複数の語が連結してできた動詞のこと。「ゆく」が付く語なら、「変わりゆく」「消えゆく」「過ぎゆく」などが考えられます。
辞書サイト「ジャパンナレッジ」の日本国語大辞典で、「~行く」を後方一致で検索すると、90弱の複合動詞が見られます。ほとんどは「~ゆく」の読み方で掲載されており、「~いく」となっているものは4件。「おういく(奥行く=奥の方へ行く)」「こえいく(越え行く)」「たちいく(立ち行く)」「もういく(参行く=行くの謙譲語)」
なんだ、「たちいく」があるじゃないか、と思うかもしれません。これは二葉亭四迷の「浮雲」で「立往(たちい)かない」というルビ付きの文言があるためと思われ、用例が多いのは「たちゆく」のほうです。
「こえいく」も万葉集に例があるためでしょう。「おういく」や「もういく」の場合は発音の都合上「~ゆく」という形になりにくかったのだろうと考えられます。こうして見ると、「立ち行く」についてもやはり「たちゆく」が標準的であって、特段の事情がない限りはこちらを使っておけば問題ないと考えます。
書き言葉なら「立ち行く」で問題回避
繰り返しになりますが、「行く」は日常的には「いく」となることが多いものの、特定の場面では主に「ゆく」が使われます。複合動詞以外でも、「行く手」「行方」「行く末」のように「いく」を使わない単語はあります。これらを「いく」に置き換えると首をかしげられることになるでしょう。
今回の「立ち行く」については、「たちゆく」でなければ間違いになるわけではありません。口頭で「たちいかない」と言う人がいたとしても、これは「言った」を「ゆった」と発音したりするのと同様で、目くじらを立てるような話ではないでしょう。ただし、少なくとも書き言葉では8割以上が「立ちゆかない」を使うとしたアンケートの結果から見ても、「立ちいかない」という書き方を目にしたなら、校閲者は疑問を呈した方がよいだろうと考えます。「立ち行かない」と漢字にするだけでも、問題は回避できてしまうのですから。
(2024年12月23日)
気候変動の影響で暮らしが「立ちいかなくなる」と書かれた記事に、「立ちゆかなくなる」が普通だろうなあ、と直しを入れました。「立ちゆく」はさらに漢字を使えば「立ち行く」ですが、口語では「行く=いく」だろうと考える人なら、「立ちいく」を使うことになるのかもしれません。
職場にある十数点の国語辞典を見ると、「たちゆく」は全ての辞書で見出し語に取られていましたが、「たちいく」は1点のみ。それも日本国語大辞典(2版)ですから、この語形が「過去に使われた例がある」とは言えるとしても、広く使われていたとは必ずしも言えないでしょう。
基本的に「立ちゆく」を使って問題ないと考えますが、新聞記者も「立ちいかない」と書いてくるところをみると「立ちいく」が案外浸透しているのかもしれません。この場を借りて伺ってみたいと思います。皆さんは「立ちいく」もお使いでしょうか。
(2024年12月09日)