今年は宮沢賢治の没後90年。童話「セロ弾きのゴーシュ」に出てくる「一生一代」という言葉と、賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」は「銀河鉄道の夜」に出てくるかどうかを考察しました。
本の「校閲至極」はおかげさまで好評で、発売から1か月もたたないうちに増刷が決まりました。ありがとうございます。続いて出版された「校閲記者も迷う日本語表現」もよろしくお願いいたします。
さて、今年は宮沢賢治没後90年。賢治は1933年9月21日に亡くなりました。その作品はくめども尽きぬ味わいがあり、永遠の古典になっているといっても過言ではないでしょう。
おそらく私が初めて賢治の作品を自分で読んだのは「セロ弾きのゴーシュ」(岩波少年文庫)です。多分8歳か9歳のころ。それから確か小学校の学級文庫で「銀河鉄道の夜」を読みました――いや、最後まで読んだかどうか。インディアンが出る挿絵しか記憶にありません。
今回はこの2作品について校閲的な視点から取り上げます。
目次
「セロ弾きのゴーシュ」の「一生一代」
まず「セロ弾きのゴーシュ」です。楽団の楽長に怒られ不機嫌なゴーシュが、ネコ、カッコウ、タヌキ、野ネズミを相手にしていく間にだんだん優しくなり、本番の演奏でも成功するという過程が楽しい、童話らしい童話です(賢治には童話らしくない童話も少なくありません)。目を引いたのは「印度の虎狩」という曲を聴かせる場面です。
猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。(ちくま文庫「宮沢賢治全集7」)
「一生一代」。岩波少年文庫版などでは「いっしょういちだい」とルビがあります。この四字熟語が校閲としてひっかかりました。辞書に数冊あたっても出てきません。「一世一代」の誤字ではないかと思いました。
しかし、辞書にないから間違いと断ずるのもどうかと思います。「一世一代」の「一世(いっせ)」とはもともと仏教語で、「過去・現在・未来の中の一つ」。そして「一世一代」はもとは歌舞伎役者の最後の芸のことだったのが、「一生に一度の晴れがましい行為」という意味になりました。だから「一世一代の大勝負」とはよく言いますが、「一世一代の失敗」とは普通言いません。
一方「一生の不覚」はよく使われます。それを大げさに表現しようとして「一生一代の失敗」という言葉になったのではないかと想像しました。賢治の造語とまでいえるかどうかはわかりませんが。
「星めぐりの歌」と「銀河鉄道の夜」
ちなみにこの童話は、今は亡き高畑勲監督により1982年にアニメ映画になっています。劇中で賢治の作詞作曲による「星めぐりの歌」が使われています。
この曲は85年のアニメ映画「銀河鉄道の夜」(杉井ギサブロー監督)でもメロディーだけ流れました。再放送がもうすぐ終わる朝ドラ「あまちゃん」でも何度か流れました(ああ、また「あまロス」になりそう)。
さて、ある原稿で、この「星めぐりの歌」が宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と「双子の星」に出てくるとあって、「そうだっけ?」と疑問を持ちました。
現物が手元になくても、ありがたいことに電子図書館「青空文庫」ですぐ調べられます。「双子の星」には確かに
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
などという歌詞が見いだせます。しかし「銀河鉄道の夜」には出てきません。ただ
すきとほった硝子のやうな笛が鳴って汽車はしづかに動き出し、カムパネルラもさびしさうに星めぐりの口笛を吹きました。
など、「星めぐりの口笛」は3度出てきます。星めぐりの口笛と歌は同じメロディーを賢治は意識していたのかもしれませんが、「歌」と書くのは違うのではないかと思いました。
しかし、「銀河鉄道の夜」は賢治が改稿を重ね、いくつものバージョンがあることが知られています。原稿の筆者は青空文庫と違うバージョンの本を見ていた、とすると間違いとはいえなくなります。
ちくま文庫の全集には「違稿」が収録され、探しましたが「星めぐりの歌」は見つかりませんでした。
さらに単行本の「【新】校本 宮澤賢治全集」第10巻(筑摩書房)には詳細な校異が記されます。すると「初期形一」の草稿から
カムパネルラもさびしさうに星めぐりの[歌→削除]口笛を吹いてゐました。
とありました。そもそも初めから賢治は「歌」よりも「口笛」がふさわしいと判断し、自分で直していたようです。
カムパネルラの「孤独」にふさわしいのは
ここからは私の解釈です。カムパネルラはジョバンニをかばったり、見知らぬ女の子とすぐ仲良しげに話し合ったりするなど、優等生でコミュニケーション能力にも優れているように描かれています。しかし最後に父親が、遺体が見つかっていないのに
もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。
と、冷淡に溺死宣告したことなどから、彼もまたジョバンニと同じように孤独にあえいでいたことが想像されます。
そのカムパネルラが口にするのは「歌」よりも「口笛」がふさわしいと、賢治は思ったのではないでしょうか。
結局、指摘の末に原稿から「銀河鉄道の夜」は削除されました。このすばらしい作品名を削るのは忍びない、とは思いましたが、小さな違いとはいえ間違いを出すよりはよかったと納得しています。
【岩佐義樹】