百貨店のストライキの記事で「組合員が職場を放棄し」という表現、どう思いますか。実は「職場放棄」は辞書にも載っているれっきとした労働組合関係用語です。しかしストのニュースが珍しくなった今では、言葉のイメージも変わっているかもしれません。
そごう・西武による8月末の「ストライキ」が大きなニュースになりました。毎日新聞労働組合もよく時限的なストを打ち抜きますが全く世間の話題にならないのと雲泥の差だなあと思いつつ眺めていると、毎日新聞ニュースサイトの記事に対し読者から違和感の指摘がありました。
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「職場放棄」は労働者の争議戦術
「西武池袋本店に勤務する組合員約900人が職場を放棄し」。この書き方は「ありえない」とのことです。
「放棄」という文字の「棄(す)てる」などのイメージから、職場をないがしろにしているという印象を与えたと思われます。むしろ職場を守るためにストを打ったのではないかという、労働者側への同情もこもった指摘かもしれません。
しかし、組合活動に深く関わったある先輩は「職場放棄って、なじみ深い気がするけど」と言っていました。
実際「職場放棄」という言葉は辞書に載っていて、それほどネガティブな意味合いではありません。
労働者が集団的に職場を離脱し、業務の遂行を一時的に不可能にすること。争議戦術の一つとして用いられる。職場離脱。(日本国語大辞典)
「放棄」もすてたものではない
次に「放棄」を新明解国語辞典で引くと、こうなっています。
自分(たち)が断行しなければならないところのものを、自分(たち)の意志で行使しないでおくこと。
この語釈がストの「職場放棄」を意識したものかどうかはわかりませんが、こう説明されると「放棄」の文字も“すてた”ものじゃないと思いませんか?
ちなみにこの語釈は第4版から。それまで「責任を放棄する」の用例に「=自分には責任が無いものとして、のほほんとした態度を取る」とあり、それは現在の8版でも引き継がれています。「のほほん」……こういう辞書らしからぬ記述が時として現れるのがこの辞書の特徴です。それはそれで面白いのですが、そういう無責任なイメージだけじゃないぞと、4版の担当者がより積極的な「意志」という言葉を盛り込んだのでしょうか。
「会社側」って、変な言葉では?
念のため言い添えますが、ストをした時間分の賃金は差し引かれます。組合費で補われる場合が多いようですが、会社に一時的に損害を与えることを覚悟の上で、自分たちの生活を守るために一時的に職場を放棄するのです。
とはいえ、今「職場放棄」で検索すると辞書以外ではスト関連のものはほとんど出てきません。毎日新聞の記事でも、例の「ガーシー」元参院議員について「職場放棄」と書かれるなど、ストとは関係ない「のほほん」的な責任放棄が目立ちます。組合活動に縁のない人が増えている今、「放棄」にネガティブな印象しか持たない人も増えるのも時代の流れかもしれません。
ところで、私は入社して労働組合の文書に「会社側」という言葉が頻出するのを見て「自分も会社員なのに変な言葉だなあ」と素朴に思っていました。やがて自分でも使うようになりましたが、毎日小学生新聞で「会社側」が出てきたときにこの疑問がよみがえり「分かりにくいのでは」と疑問を呈した結果「経営側」となりました。
大人向けの新聞では校閲として「会社側」を直すことはためらわれます。ただ、「職場放棄」がマイナスのイメージで捉えられることもあるように、以前は当たり前だった労働組合関係用語が色あせ、妙な誤解を生まないか、問い直していく必要はあるように思います。
文字通り「デモもストもない」ので
ちなみに、新型コロナによる都市閉鎖が「ロックダウン」ではなく「ロックアウト」と書かれるミスが散見されましたが、これも「ロックアウト」が労使の用語であることを知らない人が混同したのではないでしょうか。広辞苑によるとロックアウトは「労働争議における資本家側の対抗手段として、工場などを一時閉鎖し、労働者の就業を拒否すること」です。
そういえば、「早くやりなさい」「でもー」「デモもストライキもないわ」というやりとりを最近聞かなくなりました。この「でも」に引っ掛けたしゃれも、本当にデモもストライキも見聞きしない人には通じなくなっているのでしょう。
【岩佐義樹】