往年の名投手の訃報が続きました。杉下茂さんは215勝、北別府学さんは213勝を挙げ、ともに野球殿堂入りしています。しかし、名球会入りしているのは北別府さんだけ。これは名球会入りの条件が「昭和生まれ以降」のためです。
写真は、2人を悼む声の記事の導入部分。共通の経歴でない「名球会入り」はここでは削除となりました。
杉下さんは1925(大正14)年生まれ。「フォークボールの神様」の異名を取り、中日などで活躍しました。北別府さんは1957(昭和32)年生まれ。広島一筋で、精密機械に例えられる抜群のコントロールを武器に勝利を重ねました。北別府さんは近年、成人T細胞白血病(ATL)を患っていることを公表し、闘病生活を送っていました。杉下さんは97歳、北別府さんは65歳での訃報でした。
名球会のホームページによると、同会は「日本プロ野球界の裾野を広げることと社会の恵まれない方々への還元を目的に」設立されました。野球振興や社会貢献に関わる活動をしています。
入会規定のページには「昭和生まれ以降の日本プロ野球の選手、または元選手」と明記されています。かつては「昭和名球会」とも言われていました。杉下さんの他には、2000安打を達成した川上哲治(2013年死去)らも、大正生まれのため名球会入りしていません。
「200勝」「2000安打」、後に追加された「250セーブ」と、名球会入りの条件は野球ファンの間では広く知られていますが、「昭和生まれ以降」については知らない人も多いようです。当日、職場にいたあるベテラン校閲記者も、杉下さんは名球会入りしているとすっかり勘違いしていたそうです。