1979年放送開始から45年。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」名エピソードのサブタイトル「再会,母よ…」の文字に注目すると……「ザクとは違うのだよ、ザクとは」という名ぜりふをまねて「毋とは違うのだよ」と言いたくなりました。
発売中のサンデー毎日(6月16・23日合併号)「校閲至極」に「虎に翼」についての拙文が掲載されています。
目次
翔(と)べ!寅子さん
ドラマの中で何度か登場する新聞の見出し「一同に會す」の「一同」は「一堂」の間違いと思われるという指摘を枕に、全体的にはドラマ第3週のサブタイトル「女は三界に家なし?」について考えるという内容です。
そこで書き切れなかった、というか、本筋ではないので書かなかったことに「虎に翼」というタイトルの出典があります。私は知らなかったのですが、これもことわざです。でも小さめの国語辞典やことわざ辞典には載せていないものが多いので、有名なことわざといえないことは確かでしょう。
広辞苑によると、意味は「威をふるう者に更に勢いをそえることのたとえ」とのことです。出典が挙げられているので、図書館で確かめました。
周書に曰(いは)く、虎の為(ため)に翼を傅(つ)くること毋(な)かれ、将(まさ)に飛びて邑(いふ)に入(い)り、人を択(と)りて之(これ)を食(くら)はむとす
虎に翼を付けたりしてはいけない、町に飛び入り、人を取って食うであろう
(明治書院「新釈漢文大系 韓非子」難勢)
ここでは虎は強いだけではなく人間を食う恐ろしい存在です。「虎に翼」とは、そうしてはならないというのが元の教えだったのです。ドラマのタイトルとしてはその原義は感じられず、単に「寅子」という字(読みは「ともこ」)を持つヒロインが法曹の世界に羽ばたくという意味で採用されたのかもしれません。ただ、男の目からすると男の領分に乗り込んでくる女性のことを脅威に感じていたという含みもあるのでしょうか。いずれにせよ今後の寅子の活躍が楽しみです。
あんな字じゃなかったのに…
さて、ここからが本題。無料で見られるBS11で今、金曜日に「機動戦士ガンダム」をやっています。1979年4月放送開始から45年にもなりますが、見直すたびに新たな発見があります。今回注目したのは第13回「再会,母よ…」です。
初放送の時、一部のファンが注目しただけで低視聴率が続き打ち切りになったとのことですが、再放送で火が付き1981年から劇場版も公開されました。そのブームに一般紙も注目するようになり、朝日新聞に長い特集記事が載りました。写真付きで紹介されていたのがこの「再会,母よ…」のエピソードでした。
見た人には解説は不要でしょうし、興味のない方には無駄ですので内容の紹介は略します。ここで述べたいのは、ブライトさん(今は亡き鈴置洋孝さん)が重々しく読み上げるサブタイトルの文字です。
「あ、『母』の字が間違っている!」と今回初めて気づいたのです。これは漢文で使う「毋(なかれ)」ではありませんか。前の回の「ジオンの脅威」で新メカとともに登場するランバ・ラルのせりふ「ザクとは違うのだよ、ザクとは」のセリフをまねて「母とは違うのだよ、毋は」と言いたくなりました。
さきほど引用した漢文にも出てきましたね。「翼を傅(つ)くること毋(な)かれ」と。
しかし、毎日などの「毎」は旧字体では下が「母」です。その伝でいえば「母」の代わりに「毋」を使うのは間違いといえるのか分からなくなってきます。
新潮日本語漢字辞典で「毋」を引いてみましょう。音読みは漢音「ブ」、呉音「ム」、訓読みは「なかれ」「なし」とあります。「母」は慣用音「ボ」、呉音「モ」、漢音「ボウ」、和語としては「はは」「かあさん」「おっかさん」の読みが挙げられています。
それぞれの字の「参考」欄に「毋」と「母」は「別字」とあります。やはり、酷似した別の字とされています。
漢文の知識もすさんだねえ
他の辞書でも「毋」を調べると、
もと母と同形で、ははおやの意を表したが、篆文(てんぶん)から、二点を横一線に改め、ないの意に用いる。(広漢和辞典)
もと母の字で象形。金文に母の字形のままで打消に用いる。のち両乳を直線化して、母・毋を区別した。(字通)
「女+一印」からなり、女性を犯してはならないとさし止めることを―印で示した指事文字。無や莫と同系で、ないの意味を含む。とくに禁止の場合に多く用いられる。(学研漢和大字典)
――などとされ、成り立ちはともかく現代では「毋」は「母」ではなく、「はは」の漢字として用いるのは不適切とみなしてよさそうです。
しかし、歴史的にはきちんと区別されていたわけではなさそうです。例えば岩波書店の「芭蕉自筆本 奥の細道」から「母」の字を探すと……
「頼母敷(たのもしき)」と読ませるという中の字「母」が「毋」に近い字に見えます。また「書体大字典」(平凡社)という本で見ると昔から筆では「母」と「毋」の字が混同されていたようです。書聖・王羲之の筆という字も「母」の項で両方ありました。
そして、戦後の当用漢字に「母」の字が決まってからも、その字を構成要素に持つはずの「毎」「敏」「繁」などがすべて旧字体の「母」から「毋」に変わったことから、「母」自体も「毋」で書く習慣が一部残ったのかもしれません。加えて、漢文の知識がおろそかになってきたことも混同の一因といえるでしょう。
「毋」は生き残ることができるか
もちろん今、電子機器で「はは」と打って「毋」が出ることはあり得ないでしょう。しかし、ファーストガンダムのサブタイトルは、1979年という時代を考えると手書きだったのではないでしょうか。
サブタイトルの画像をよく見ると、機械で打ち出したとは考えにくい字がよく出てきます。
「大気圏突入」の「突」の字の下が「犬」になっている旧字体でしたが、「強行突破作戦」の「突」は新字になっています。
「大西洋,血に染めて」の「西」の4、5画目が湾曲せず真っすぐ下り横線とくっついて、「覇」の上部のような字になっています。
そして、実は「再会,母よ…」も「大西洋,血に染めて」も「、」ではなく「,」の記号が使われているのですが、その大きさや形が違います。「イセリナ,恋のあと」「時間よ,止まれ」「ザンジバル,追撃!」とも微妙に違っています。ちなみに「再会、シャアとセイラ」「ニュータイプ、シャリア・ブル」では「、」に変わっています。
あくまでも想像ですが、レタリングを手書きする人が一人ではなく、書体をできるだけ統一するようにはしていますが、微細な部分で違いが出るのではないでしょうか。
今は機械で統一したフォントを入力するでしょうからこういうことはないと思われ、もし「はは」と読ませる字で「毋」が出てきたら「海外発注で日本語を知らない人が打ち込んだ字ではないか」と疑う必要があるでしょう。
ところで、「再会,母よ…」のエピソードは舞台が山陰地方とか鳥取とかいう情報があるようですが、主人公アムロの家などとても日本的な造りとは思えず、にわかには信じられません。でもこのコラムに使う画像としては、権利関係が怖いこともありメインは鳥取砂丘にしました。「あんな子じゃなかったのに」「すさんだねえ」と言う母とアムロは分かり合えないまま別れますが、そのシーンは砂丘に見える所でしたので……。
【岩佐義樹】