「無実」という言葉の使い方について伺いました。
目次
「違和感強い」が8割占める
戦争では「無実の」市民も命を落とす――カギカッコの中、どうですか? |
表現に違和感はない 6.5% |
違和感はあるが許容範囲 14% |
違和感が強い。「罪のない」などとしたい 79.5% |
「無実の」市民、という言い回しには「違和感が強い」とする回答がほぼ8割を占めました。「無実」はそもそも何かの罪に問われたうえで、「その事実はない」という使い方がされるもので、何に問われたのかも分からないような形では使いにくいと考えられます。
「事実がない」のに罪に問われるのが「無実」
「無実」というのは、文字の通り「実が無いこと」、すなわち「実質がないこと。事実がないこと。また、そのさま」(日本国語大辞典2版)。この意味では今でも「有名無実」(名前ばかりで中身がないこと)という形で使われます。そこから「特に、罪に値する事実がないのに罪があるとされること。ぬれぎぬ。えんざい。無失」(同)という意味が派生し(日国には12世紀の用例から載っています)、現在ではもっぱらこの意味で使われています。
それでは「無実の市民」とはどんなものでしょう。この字面だけを見る限りでは「(犯罪の)事実がないのに、ぬれぎぬを着せられた市民」と受け取れます。しかし、現在のパレスチナで「なぜ無実の市民が、こんな目に遭わなければいけないのでしょう」と訴える言葉には、そうした「ぬれぎぬ」のニュアンスはありません。そもそも罪人視されているわけでもない、「罪のない市民」ぐらいが、無理のない言い換えになると思います。
「罪のない」人だけでなく…
もっとも、こうした「罪のない○○」のような言い方も、変な感じがないわけではありません。「じゃあ罪があれば、例えば戦争で殺されたりしてもよいのか」という話になりかねないからです。あえていえば、この「罪のない○○」という言い回しは、「悪いこともしてないのに、どうしてひどい目に遭うんだろう」という素朴な感情を吐露したものではないかと思います。
さらに、くどく説明するならば「(罪があろうと正式な手続きなしに罰を受けるべきではないのに、ましてや)罪のない」人々が理不尽な境遇に置かれることなど、あってはならない――ということになるでしょうか。けっして、罪のある人ならひどい目に遭っても仕方ないということではないのです。
避けたい使い方
ともあれ「無実の市民」のような書き方が違和感を持たれることは、今回のアンケートの結果にはっきり表れたと思います。最近の戦争に関連した、外部筆者による原稿で、2週続けて「無実なのに殺されたくない」「多数の無実の人々の死傷」といった書き方を見たことから、「ぬれぎぬ」とは違う形で「無実」が使われるようになっているのかと疑問を持ちましたが、そうした傾向は見られないと判断します。このような使い方は避けるのが妥当でしょう。
(2023年12月04日)
「無実」は罪がないという意味ではありますが、元々何もない人について「無実」と言うことはあまりありません。「罪を犯していないのに、罪があるとされること。冤罪(えんざい)。『無実の罪』『無実を訴える』」(大辞泉2版)のように、「罪があるとされ」たものの本当は罪がない、という場合に使います。
ただし、戦争で「無実の市民」が命を落とす、といった使い方を目にすることもあります。記者の書いた原稿であれば上記のような事情を踏まえて「罪のない市民」などと修正するのですが、近ごろ複数の外部筆者の原稿、それも年配の識者のものでこのような使い方を見かけ、ちょっと戸惑いました。
もしかすると「無辜(むこ)」の言い換えとして「無実」を使っているのかもしれません。「無辜」は「罪のないこと。また、その人」(同)という意味ですが「辜」が常用漢字でないため新聞では使いません。「無辜」を使えないと知っている場合に言い換え語を探す中で「無実」が使われた可能性もあると思いますが、こうした使い方が増えているのかとも感じます。皆さんはどう感じるでしょうか。
(2023年11月20日)