校閲の仕事を始めて1年半ほどたちましたが、上達や成長しているのかは相変わらずよくわからないまま。難しい仕事だなあ、としみじみ思いながら日々原稿に向かっています。
「新型コロナウイスル」「(感染)第2派」「血色ばむ」。これら、全部見逃しました。今振り返ると信じられないというか、信じたくないのですが、見逃しました。自分の目と脳に対する信頼は減少していきました。
読み方や語の区切り方を変えたり、原稿を折ったり上下逆さまにしてみたりと、いろいろと工夫(迷走?)してはみるのですが、なかなかうまくはいかず、試行錯誤の日々です。ただ最近になってようやく、間違えやすい言葉の前で立ち止まって考えることが少しずつできるようになってきた気がします。
それでも焦ると「RCR検査」をスルーしてしまったりして、ああまだまだだなあと肩を落とすのです。
また、誤りとまでは言えないような微妙な表現にも悩むことも、入社前に想像していた以上に多いです。「この書き方だと2通りの解釈ができなくもないんじゃないか」とか「文として少し不自然だけど、どう直したら自然になるのかわからない」とか。日本語の難しさに毎日のように頭を抱えています。
なんだかネガティブなことばかり書いてしまいましたが、この仕事をしてよかったと思うことも、もちろんあります。
この仕事の特に好きなところは、今までの経験が思いがけず生きることがあること。
私は中学生の頃ソフトボール部に所属していたのですが、悲しくなるほど下手でした。同学年は全部で6人だけだったのに、最上級生になっても下位打線……すら危うい。打席に立てば空振り三振、フライを捕ろうとしておでこに立派なたんこぶを作り、度重なる捕球ミスの末に右手薬指を剝離骨折。なかなかの有り様でした。5人の同級生や優秀な後輩たちをベンチからぼんやりと応援していた私を見かねたのか、監督がスコアブックを渡してくれました。
それから書き方を教わり、試合に出ていない時はベンチでスコアをつけるようになりました。一人だけ試合にあまり出られないことへのふがいなさは消えませんでしたし、小さな中学生チームで素人がつけるスコアに果たしてどれほどの意味があったのかも分かりません。ただ、あの時の知識と経験は今、スポーツ面を見る時に大いに役立っています。
他にも、ただつらかった記憶しかないような経験が役に立った時には、少しだけ救われたような気がしたり。昔行った施設が出てきた時は「ああ、確かにこんな感じだったなあ。この写真はあの場所から撮ったんだろうなあ」なんて懐かしんだり。
そうやってうかうかしていたら、ひどい見逃しをして落ち込んだり。……やっぱり、校閲は難しい。
【神尾春香】